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豊かさとは多くを得ることではなくたくさん「回す」こと

「戦争は資本主義が加熱し、奪うことで成長しようとしはじめたときに起きるのだ」

100分de平和論を見て一番印象的だったのは、経済のあり方について書かれた本が半分を占めていたことだった。

ブローデルの「地中海」と井原西鶴の「日本永代蔵」。

一見すると「平和」に直接関係のないように思えるこの二冊から読み解く平和のあり方は、私たちがこれから「成長」にどう向き合うかを考えさせるものだった。

二冊に共通しているのは、過去の歴史を紐解きながら経済発展が社会に与える影響を描き出している点にある。

地中海はローマ帝国の繁栄から帝国主義にいたるまで、常に拡大主義を貫いてきた。
農作物の生産効率が限界まで引き上がってしまうと投資の余地がなくなり、それ以上に発展するには国外を目指すしか選択肢がなくなってしまう。
こうして欧州の国々は先を争うように植民地支配に乗り出し、領土をかけて戦争を繰り返すようになる。

一転して、江戸の暮らしを描いた「日本永代蔵」からは、循環によって内需を拡大してきた日本のエコシステムを読み取ることができる。
江戸には現代とは比べ物にならないほどの無数の仕事があり、仕事を奪うのではなく役割分担しあうことで誰もが何かしらの仕事で食い扶持を稼ぐことのできる仕組みが出来上がっていた。
中には「功徳を積むために雀を逃す権利を売る」などの一見何の役に立つのかよくわからない仕事もあり、しかしその無駄こそが仕事を生み、人を生かしていたのだという。

日本は200年以上もの間、鎖国によって海外との通商を絶っていた。
もちろん一部の港ではオランダや中国と国交を持っていたが、欧州のような領土争いに巻き込まれることなく内需だけで反映してきたのが江戸時代だったと言える。

成長するにつれて開発の余地がなくなり、外に活路を見出そうとする流れはどの国でも共通しているはずだが、なぜ日本は海外に攻め込むことなく自国内で完結していたのか。

その背景には、前述の「無駄こそが仕事を生む」という発想があるのではないか、と番組内で結論づけられていた。

現代社会では、無駄を省き効率をあげることを誰もが目指している。
ITによって仕事は効率化され、間に誰かを介さずとも直接取引ができるようになった。
D2Cがブームになったのも、小売店や問屋を介さずとも直接顧客に販売できる仕組みが整ったからこそだ。

しかし「無駄」として省かれた仕事の裏には、そこに従事していた人たちがいる。
結果的に格差が広がり、社会不安へとつながり、ブロック経済や全体主義へと邁進して行ったのが「戦争の世紀」と呼ばれた20世紀の流れであったように思う。

より多くを得よう、より領土を広げようと邁進することは、結果的に争いへとつながっていく。

争わずに成長していくためには、効率を極めて拡大しようとするのではなく、仕組みの中に無駄や余白を作って循環を大きくしていくことが必要なのではないか。

ここに、ポスト資本主義を考える上で重要なヒントが隠されているように思う。

ちょうど同じタイミングで見たガンディーの「獄中からの手紙」の中に、こんな言葉があった。

「よいものはカタツムリのように進む」。

ITの出現によって、企業も個人もこれまでではありえなかったスピードで成長できるようになった。
スタートアップは常に10倍の成長を目指し、インフルエンサーはあっというまにスターダムへと駆け上がり、あっというまに消費されていく。

モノも情報も大量に生み出されては消費され、熱狂も炎上も一週間も経てばすっかり忘れられてしまうような時代に私たちは生きている。

より早く、より多く。
今ここにないものを得ようと必死になった先に幸せはないのではないかと少しずつみなが気付き始めたのが、今という時代なのではないだろうか。

ガンディーがゆっくり進むことの利点を説いたのは、「循環」は「略奪」に比べて時間がかかる仕組みであると見抜いていたからなのではないかと私は思う。
特に循環の輪が大きくなればなるほど、その効果を自分が感じられるようになるまでには多大な時間を要する。
直接的に何の意味があるのかわからないような余白も、そのままにしておく覚悟も求められる。

もちろん無駄を排除して効率を上げようとする試みが、文明を進化させてきた面もある。
家電製品やインターネットがなければ、私たちは今でも家事労働に追われて1日を終えていただろう。
しかし家事や畑仕事から解放されたことで生まれた時間は、すべて幸福に寄与しているのだろうか。
外出自粛によって自炊や家庭菜園が盛り上がっていたところを見るに、無駄を楽しむ時間が私たちの生活には足りていなかったのではないか、と考えさせられる。

自分が何かを得ることは、ともすると誰かから何かを奪うことでもある。
奪い続けた先に行き着くのは、利害衝突による争いだ。

複数の生き物が集まれば利害が生まれ、弱肉強食のヒエラルキーが生まれるのは自然の摂理ではあるものの、共同体を作り支え合うことで反映してきた私たちが目指すべきは、「奪う」ではなく「回す」ことなのではないかと思う。

無駄を削って誰かから奪うのではなく、余白を作ることで「回す」範囲を広げ、共に拡大していくこと。

私たちが歴史から学ぶべきは、人の欲が生む争いを乗り越えるための経済の仕組みなのかもしれないと思うのだ。

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Retail Futurist / curator。「知性ある消費を作る」をミッションに掲げています。 将来は世界一の店舗メディアを作る予定。noteの有料マガジン「余談的小売文化論」とコミュニティマガジン「消費文化総研」もよろしくどうぞ!