「話題になる」ことの落とし穴
新しく商品を作ったりサービスをリリースするとき、誰もが『いかに話題になるか』を考える。
マーケティングやPRの多くはいかにたくさんの人に知ってもらうかを主眼においていると言っても過言ではないだろう。
『あれいいよね』と言ってくれる人が増えるのはいいことだ。
特にその口コミがSNSを通して可視化されていけば、いい口コミはどんどん伝播していき、ファンも増えていく。
一方で、最近SNSを見ていて思うのは、口コミによって醸成された評価はとても脆いものでもある、ということだ。
私は大抵のファン組織は『2:6:2』に収束していくと思っている。
何をしてもファンでいてくれる人が2割、何をしても文句をいう人が2割、そしてどちらでもない浮動票が6割。
私たちはついこの6割を熱心なファンに変えようと努力してしまうけれど、何をしても根本的なこの割合は変わらないはずだと私は思う。
逆に『1:8:1』など浮動票が多い方向に変化することはある。
そして話題になるということは、浮動票率が高まる危険を孕んでいるのではないかと思うのだ。
特にアーリー層はSNSで見かけたもの、誰かが話題にしているものを自分も体験したり購入したいという欲求が強く、さらに自らもSNSに投稿する頻度が高い。
このサイクルがうまく回ると、SNSを見た人が購入してそれをSNSにあげ、それを見た人がまた購入する…という、いわゆる『人が人を呼ぶ』状態になっていく。
しかしこのサイクルにおいて人が本質的に求めているのは『話題のものを買った/体験した自分』でしかない。
つまりそのモノやサービスでなくてもよいため、他に話題のものを見つけたらどんどんそちらに流れていってしまう。
さらに誰かがおすすめしていたバイアスがかかっているため、多少不満に思うところがあってもいい体験だったと無意識に『思い込む』ことがある。
そして何かの拍子に悪い評価に接した際、『それ、私も思ってた!』と負のスパイラルが起きる原因になってしまう。
もちろん、彼らに悪気はない。彼らはある種の集団催眠にかかっているような状態であり、その魔法がとけた瞬間に真の評価を下しているだけなのだ。
だからこそ一番怖いのは浮動票率が高い時期にネガティブな事象が起きることだ。
人が人を呼ぶスパイラルは正の力と同じくらい負の力も強い。
もし何か不祥事が起きたとき『たしかに大したことなかったもんね』『はじめから微妙だと思ってた』と手のひらを返したようにネガティブスパイラルが広がっていく。
話題になるということは『人がいいと言っていたからいい』と判断する人たちの割合が高くなることとほぼ同義であり、何かあったとき彼らは離れていくばかりかネガティブなメッセージを発することが多い。
なぜならば、一度そのサービスや商品を経験して『自分ごと』になっているからだ。
自分が経験したもの、所属していた場所など関係性が近いものは目につきやすい上に、言及するネタも持っている。
『自分ごと』になったものは、良くも悪くも口コミを発生させる。
だからといって話題になることを目指さずスローペースでファンを増やすべきだと言いたいわけではない。
世の中を変えるには急激な成長が必要なフェーズもあるし、認知が広がること自体は決して悪ではないと私は思っている。
ただ、話題になっているとき、特によい口コミが増えているときほど細心の注意を払う必要があるということだ。
SNSの投稿は、必ずしも真の満足度を反映しない。
話題になっているから、いい投稿が多いからと安心していると、ある日急に足元を掬われる日がくる。
『調子のいいときほど気をつけなければならない』という昔からの教えは、人間のこうした性質に根ざしているのかもしれない、と改めて思う。
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