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「自分にしか作れないもの」を作るために

「もっと多くの人に届けるには、どうすればいいのでしょうか」
イベントに登壇するたび、この類の質問を受ける。

そのたびに私は「価値のあるものを作ることです」と答えている。
細かいテクニックをあげればキリがないが、価値のあるものさえ作れば他の誰かが勝手に広めてくれて、そのうち影響力の大きな人やメディアのもとにも届くようになる。
逆にいえば、価値のないものはどんなに表面を取り繕っても広まる範囲には限界があるということだ。

ではここでいう価値とは何かといえば、「その人にしか作れないもの」だと私は考えている。
その人がいなければこの世に生み出されなかったもの。
他に真似できないものは、必ず価値になる。

だからこそ、他の人が作って成功したものを表面だけ真似しても意味がない。
すでにこの世に存在するものを後追いしているだけだからだ。

以前読んだクリス・アンダーソンのプレゼン指南本にこんな一節が出てくる。

The only thing that truly matters in public speaking is not confidence, stage presence, or smooth-talking.
It's having something worth saying.

公の場でのトークで本当に大切なのは、自信でもステージ上でのパフォーマンスでもなければ、スムーズに話すためのトーク術でもない。
大切なのは、「語る価値のあるもの」を持つことだ

これはプレゼンだけでなく、記事や動画、音声、そしてものづくりなどすべての創作に共通する真理だと私は思う。
アウトプットの方法を学ぶよりも先に、語るべきもの、表現したいことを持つことの方が重要だ。

つまり価値あるものを生み出すためには、自分の感じたことを他人の表現に乗っかって「わかった」気になってはいけないということだ。
自分の中に生じた感情の揺れやさざなみのような違和感を、そのまま漂わせておくこと。
そしてコップの水が溢れ出すように、自然と表に出てくるタイミングを待つこと。
自分流に「わかる」まで、関心を途切れさせないことだ。

昔よりもはるかに多くの情報に接するようになった私たちは、ひとつひとつを理解するために時間をかけられなくなっている。
「わかった」感覚はひとつの快楽でもあり、誰かの言葉に感動してそれが正解だと思い込んでしまえば、手軽に好奇心を満たすこともできる。

しかし誰かと同じ言葉を使い、伝達する行為の中に、自分の個性はない。
そこにあるのはただの情報伝達物質であり、代替可能な存在だ。

自分の表現を持つ努力を放棄することは、アイデンティティの崩壊を招く。

「自分の感受性ぐらい 自分で守れ ばかものよ」と茨木のり子が書いた背景には、心の機微までも機械のように消費されていく社会への警報が含まれていたのではないだろうか。

小林秀雄は、「美を求める心」の中で「絵や音楽が解ると言うのは、絵や音楽を感ずる事です。愛する事です」と書いた。

現代にはいくらでも絵や音楽を解説するコンテンツが溢れ、それを読んでわかった気になることもできる。
旅行もエッセイや写真を見れば、現地に行かずとも旅行した気持ちになれることもある。

しかし本当の意味で「わかる」ということは、「知る」とは別の何かなのである。

本居宣長が日本の精神を「もののあはれ」に見出したように、しみじみと心に浮かび上がってくる言葉にならない気持ちを呼び覚ますこと。
そしてそれがいつか自分なりの表現になるまで、辛抱強く自分を観察しつづけること。

自分らしい視点とそこから生まれる価値は、こうしたささやかな努力によって支えられている。
私たちの誰もが、自分にしか語り得ない、作り得ないものを持っているはずなのだ。

Many of the best talks are simply based on a personal story and a simple lesson to be drawn from it.

素晴らしいトークの多くは、個人的な体験とそこから得られた教訓に根ざしている
by Chris Anderson

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