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自分のことは、必要以上に大きく見えるものだから

先日CM×CSグループで「危機対応」をテーマに話していたのですが、その中で下記のコメントが特に印象的でした。

「叩かれたり炎上したときに、バランスよく判断出来なくなることが沢山あるように思う。やはり当事者は、そればかり目に入ってしまうし、必要以上に過敏になってしまったりするから、世間一般はどのように受け止めてるか?世論の風潮に大きな影響が出そうかなどを冷静に判断するというのが、クライシスマネジメントで当事者になったときに1番痛感すること」

ITの分野で働いているとしょっちゅう炎上を目にしているような気になりますが、異なる分野の友人はそういったニュースを知らないことも多く、自分が思っていたより小さな範囲の炎上だったんだなと感じることが多々あります。

でもいざ当事者になると、顔の見えない"世論"という大きなうねりに巻き込まれバッシングされたら正常な判断ができなくなってしまうのも当然のように思います。

世の中すべての人が敵に思えてくるし、自分のことを責めているように感じる。

それが炎上するということなのだろうと思います。

でも実際には新聞やテレビなどのマスメディアに取り上げられる規模でなければほとんどの人は知らないし、損害を受けた当事者以外はあっというまに忘れてしまうもの。

炎上したからといってこの世の終わりのように思い詰め過ぎず、やらなければならないこと、説明しなければならないことを淡々とやるしかないのだと思います。

バッシングされるとどうしても主語が自分たちになってしまい、「なんで私たちばっかりこんな目に」と考えがちですが、本当に大切なのはユーザーを含む社会的な影響の大きさです。

そういう意味でも自分たち視点で頭に血が上った状態ではなく、もっと高い視座で冷静に判断しなければならないのだと思います。

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「自分のことは大きく見える」というのはいい評判のときもそうで、四六時中自分の事業のことを考えているとそれが世界の中心のように感じるし、少しバズっただけでも世界中の人が知ってくれたように感じてしまうものです。

でも実際にはテレビにでている有名人ですらちょっと変装しただけで本人だと気づかれないものだし、人気のドラマや番組も見ていない人が大勢います。

マスメディアですらそうなのだから、Web上での盛り上がりの影響力なんてたかが知れています。

だからといって悲観的になるのではなく、謙虚に客観的に事業の認知度や自分の影響力を認識していく必要があるのではないかと思います。

過信しすぎず、悲観しすぎず、淡々と。

常に自分の身の丈を意識しながら、年輪のようにどっしりと大きくなっていきたいものです。

(Photo by tomoko morishige)
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私のnoteの表紙画像について書いた記事はこちら:人のフィルターを通して見る世界

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