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女性は、努力するほどマイノリティになっていく

山口真由さんの「飛べないハードルはない!と思ってきたけれど」という記事。

私は山口さんに比べればハイスペックという言葉とはほど遠い存在だけれど、勉強や仕事が好きというだけで女子扱いされづらい空気をひしひしと感じて生きてきたので、共感する部分の多い記事でした。

女性である程度の学歴がある人というのは、同じ学歴の男性に比べて努力型の人の方が多いような気がします。

FacebookのCOOであるシェリル・サンドバーグの名スピーチ「何故女性のリーダーは少ないのか」でも語られていたのですが、女性の方が自己評価が低い人が多いため、それを補うために懸命に努力する人が多いからです。

だからこそ高学歴で一流企業に勤めている女性ほど、努力しない人に対して強く当たってしまう。

「私は努力でここまできたんだから、あなたにもできる」と努力を押し付けてしまいがちなのです。

そして、たゆまぬ努力で結果を出してきた勉強や仕事のやり方をそのまま人間関係にも適用してしまい、はじめて「努力でどうにもならないこと」にぶつかります。

幸せを掴むためにこれまで努力してきたはずなのに、ふと周りを見渡せば適度に遊んできた子たちから結婚して母になり、私の手元にあるのは仕事の書類ばかり。

私の選択が間違っていたの?

30歳を目前にしたとき、自立した女性が一度はぶつかる壁ではないでしょうか。

私も何度かこの壁にぶつかって、一生懸命働くべきではないのだろうか、ここでスローダウンするべきなのだろうかと考えたことは一度や二度ではありません。

それでも毎回やっぱり自分自身の力をつけていきたい、一人でも生きていける人間でありたいと思うのは、選択肢をもつことの重要性を体感してきたから。

我が家は田舎の旧い考え方だったので「養ってもらってるうちは文句を言うな」と言われて育ってきました。

だからこそ一刻も早く自立したかったし、人に依存して生きることの不自由さをよく知っているつもりです。

ことあるごとに思い悩むことはあれ、せっかく先人たちが夫や家庭に縛られない自由を開拓してきてくれたのに、わざわざ自ら牢屋に入りにいくことはない、と思い直すのです。

もちろん全員が働くべきというわけではなく、家庭生活を充実させることが心から自分の喜びだという人は家庭に入って自分の理想の生活をすべきです。

でも本当は自由でいたいのに、世間の圧力に負けて不自由な方向に自分を追い込む必要はないはずです。

21世紀を生きる私たちにはもっと、たくさんの選択肢があるのだから。

努力によって自分の地位を作ってきた女性は「可愛げがない」という言葉を浴びるものですが、そんな姿を評価してくれる人は昔より確実に増えています。

無理に下手にでて可愛げを演出しなくても、自分の足で立って自分の言葉で表現する姿を「いい」と言ってくれる人と結ばれる方が何倍も、何十倍も幸せなことだと思うのです。

先日つぶやいた私の理想の奥さん像は母からの教えなのですが、たくさんいただいた「いいね」のうち半分近くが男性だったことで、やっぱりこの考え方は間違っていない、と確信に変わりました。

「元始、女性は実に太陽であった。」

平塚らいてうがこう表現してから早50年が経とうとしている今、私たちは改めて他によって生きるのではなく、自分の力で輝く道を模索していかなければならないのだと思います。

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(Photo by tomoko morishige)

私のnoteの表紙画像について書いた記事はこちら。

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