余談的小売文化論
プラットフォーム化していくブランドたち
日頃小売関連のニュースを追う中で、ふと『これから生まれるプラットフォームは、もしかするとはじめからプラットフォームを目指していた企業ではなくなるかもしれない』と思った。
特に最近のブランドの動向を追っていると、その思いつきが徐々に確信へと変わっていくのを感じる。
なぜ怒りによって人の行動を変えようとしてはいけないのか
はじめに断っておくと、私は『怒り』そのものは必要な感情だと思っている。
それは友人でもあるゆうすけ先生の影響も大きい。
怒りは自然な感情であり、それが古来から私たちの身を守ってきた。
さらに怒りのパワーが革命に昇華され、社会構造を大きく変えてきたことは周知の事実だ。
一方で、私は怒りによって人の行動をコントロールすることへの危険性も感じている。
それは道徳的な側面からばかりではなく、実利として
今月の #あさみのまなび ベストセレクション
今月もSlackコミュニティ内でのつぶやきを一部抜粋してご紹介します。
Slackでのつぶやきはひたすら長い!笑
最近は国際関係の本やドキュメンタリー番組を見ることが多かったので、小売以外にも「異文化理解を前提としたコミュニティ運営」みたいなこともよく考えています。
『行動』を伴う『意志』は、いかにして作られるのか
『つまらない芝居を見ると退屈する。
しかし自分が芝居に出る時にはつまらない芝居でも退屈しない。
だから幸せになりたい人は舞台に上がらなくてはならない』
アランは、幸福論の中で演劇を例に出しながら行動の重要性を説いた。
現代に目を向けてみても、人はつい芝居を『見る』ことばかりに熱中したあげく、その芝居に文句を言って自らの幸福度を下げている例は枚挙に遑がない。
その際たる例がSNSを眺めている時
「思考停止」は儲かるけれど。
思うに、今の消費社会は消費者の『思考停止』に向かっているのではないだろうか。
パーソナライズはその最たる例だし、キュレーションもレコメンドも、私たちの内なる欲望が顕在化する前に『欲しいであろうもの』を次々と押し付けてくる。
さらに延々と流れ続けるSNSのフィードと自動的に再生され続ける動画が、私たちの思考時間を奪っていく。
今、もっとも儲かるビジネスは消費者を思考停止に陥らせることなのかもしれな
「現状維持」への憧れ
最近、急に『老子』を読み始めた。
きっかけはスタンダードブックスの『詩と科学』の中で、湯川秀樹がこう書いていたことだった。
中国は文化が古くて、古典的古代というべき時代に生まれた思想が、すでに青年期のものではなく、また壮年期のものでさえもなく、「老成した」というべき思想だ、という感じを私は昔から持っていた。
(中略)
日本は相当古い国ではあるが、まだ青年期的な傾向が強いように思う。昔も今も、異