設計者の特権
今回は「設計者の特権」という題でお話していきたいと思います。
みなさんは何か夢や理想を持っていますか?
え?持っている?
それでは設計者の仲間入りですね!
それだけかい!
そんなこんなで設計者というのはですね、何事につけても内と外の設計を持つんですが、簡単に言って、外の設計とは自分以外のひとが設計した場合のことを指し、内の設計とは自分の設計したものである、ということです。
当然のことですが他人が設計した意図して設計した目的はそれ以外のひとには関係があっても、関わった人々の目的ではないですよね。
そうなるとどうしても自分が設計した目的は必ず他人が設計したものより上にくるわけです。
ただし、ワンネスのようなものであったり、設計の原理・原則である場合は共通のものなので上下はないものといえ、私達の目的にさえなるものとなるでしょう。
なのでそのようなものでない限りにおいて、他人の設計と、自分の設計は上下がある、ということになりますよね。
それはそうと、意図と目的を区別することから始めたいので、それをお話しましょう。
ここで少々難しいでしょうけれど考えてみましょう。
目的が単純かつ明瞭になればなるほど、意図は複雑かつ理解されないものとなる。
逆に、目的が複雑かつ理解されないものとなれば、意図は単純かつ理解されるものとなる。
目的;a
意図;b
定数;k
a÷b=k
つまり、目的と意図は反比例関係にある。
ということになります。
具体的にいえば、あなたがトイレに行って来て、「どこへ行っていたの?」と訪ねられた場合、「小便しに行ってきたんだ」と応えた状況を考えてみましょう。
少々強引に思われるでしょうがこれは目的は小便のためにトイレというゴールに行ったことになる。この場合、意図は生理的要求であり、動物的なものとなる。では、意図は?となると、それ以上説明不可能なくらい、複雑に説明しなくてはならなくなる。なぜ行ったの?と問われ続けてもわからないことになります。
例えば次の事例を挙げてみましょう。
あの有名なスティーブ・ジョブスがアイフォンを作ったが目的であり、達成されたものですが、意図は本当に理解することが難しい。
なぜ?を問い続けても達成した事実だけがわかるだけです。
しかし目的はアイフォンを作ることで達成されています。ごく単純なことでしょうけれど、意図はわかりかねる。
このような事例は目的が意図と反比例して複雑または単純になるということなのです。
まとめ
⑴闘いを設計しなければ闘いは起きない。
但し、闘いには他人が設計したものと自分が設計したものがあり、自分が設計しなければ闘いは起きないのは自分が設計した場合である。
他人が設計した闘いには弱い勝敗しかないが、自分が設計した闘いには強い勝敗がある。
弱い勝敗には勝ち負けがあっても良いが、強い勝敗では勝たなければならない。
それが設計者の特権の唯一のリスクである。
⑵勝敗や設計には意図や目的が必ずある。
意図は崇高であればあるほど目的は多くなり、複雑になる。勝敗は目的を達成するためにあり、設計は意図を果たすためにある。
他人が意図や目的を隠したとしても、設計上、目的は重要だとされるが、自分が意図や目的を隠しても、設計上、意図が重要になる。
目的は誰にでもわかる単純なものの方が良いが、意図は誰にもわからない複雑なものの方が良い。
この今言った〇〇の方が良いとは設計上において良いので原則である。
⑶目的が単純化し、意図が複雑になればなるほど
解答は導き易くなる。ゆえに目的と意図は反比例する。逆に、目的が複雑化し、意図が単純になるほど解答は導き難くなる。
この現象から、ひとにわかりやすく、自分の中では明瞭かつ懐疑的である方が進んでいる証拠である。
仮に目的を尋ねられて、目的を説明しても「わからない」と言われるなら、まだ、実際に進みが甘いか、あなたを認めておらずあなたを無限に否定・批難しているかのいずれかである。
⑷目的は盗まれる恐れはあるが、意図は設計者の特権により盗まれることがない。