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モノからくるイメージ

〈なる世界にて〉

学習していると、これは、左脳学習?、それは右脳学習???
そうなるときがある。
調べてみると脳科学的にみて、左脳、右脳というのは、曖昧で、ないに等しいオカルトな内容らしいというではないか。
そんなこんなで、考え方を変えてみることとなった。
なので、新しい説を唱えてることになった。

新しい説

モノからイメージによって、潜在的にひとは、育まれている

②モノ、モノ、モノ、これを配置した者によって、イメージは、形成され、その配置した者から、実は、潜在的に教育されている

③育むということは、モノ、モノのイメージであって、中身となるのは、本人の学習によること説

わかりにくいので、説明すると、左脳が、計算・言語ということがあった。
すると、理系は、計算するので、左脳かと思う。
すると、そうでもない、という結論が、やっていると、明確になる。
むしろ、理系の内容は、図を用いるとわかりやすいので、右脳のような気もする・・・という案配だ。(オカルト的な)

この説からすると、ひとは、AIのように、特徴表現しているということが、まず挙げられ、観察が、すなわち、性質✖️分析しているということ、にあたる。
そして、それらを下に、仕事や、学習において、実践を余儀なくされる場合においては、実行が、すなわち、法則✖️試行しているということ、になる。
この一連の過程は、逆になることもあろう。まず先に実践、そして、観察のようになることもある。
よく考えると、その一連の過程は、どっちでも良いことがわかる。
というのも、実行して、観察、また、実行なのか、観察して、実行、また、観察なのか、この一連の過程、その連続なもののどこをさしたのかの違いしかないからだ。

一例を挙げてみよう。

実行、観察、実行、観察、実行・・・・・

このうち、実行、観察、実行の3つを取り出すと、実行が先になって、観察、そして、実行となるが、このうち、次の項の、観察、実行、観察を取り出すと、観察が先にきて、実行、そして、観察になってしまう。
つまり、行動してから、考えろ、とか、観察してから、行動しろ、という言葉に意味がないということになる。

それにしても、大切なのが、どちらが、今、欠けているのか、という問いを立てること。
法則✖️試行が、欠けているのか、それとも、性質✖️分析が欠けているのか、その問いが大事になるだろう。

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