得意なことを伸ばそうと、できないことに囚われることについて

テレビでちらっと聞いていると、
「得意なこと、時間も気にせず夢中になれること、苦痛なくできること」に人間特化したほうがストレスが少ない
っていう趣旨の話をしていました。

うん、それは同感です。

一方でさ、できないことが出来るようになったときうれしいっていうのは合っている。
それは得意なことの中で、できないことを克服していくってことなのかなと。

でも、私ってできないこと、苦手なことに何故か惹かれてしまう傾向が( ;∀;)
何なんでしょうね。これっと。
我慢とか努力が美徳と脳が思ってしまっているのでしょうか。。

苦手なことに淡々と向き合うことは確かに精神を少しずつですが強くするとは思います。
ただ、やはり苦手なことだからなのか、積極的に取り組めないことが多々あります。
億劫だな~
面倒くさいな~
ついそう思ってしまいます。

例えば、ヨガ。
本来から身体は硬く、体の使い方、コントロールもあまりうまくできません。
始めてから3年が経過。よく続いたもんです。
でも続いているといっても細々。さぼったり、休んだり、また再開したり。
だから当然身体が柔らかくなったり、できるようになるスピードはまじめにやっている人に比べたら、半分以下、そんな感じです。
まわりはどんどん出来ていきます。
もとに身体の柔軟性、素養、努力、色々な要因があります。

多分辞めたらすっきりするのかもしれませんが、
エゴやプライドが邪魔して、
「ここで辞めたら逃げた気がする。後悔する。やはり自分は投げ出してしまう人なんだ」
そんなことが頭をよぎって、結果としてやったり、やらなかったり。
あまり良いとは思わないけど、最近はこれも自分と思うようにしています。

ほかの人と比べるのはヨガじゃない
執着しないのがヨガ

そんな言葉を慰めだか言い訳のように言い聞かせていますが・・・

そこで話は戻りますが「得意なことに特化したほうがストレスが少ない」
というのは当たっていると思います。
改めて私もこの考えには賛成。

では、なぜこんなにできない、向いていない、好きなのかもわからないことに「執着」してしまうのだろうか、と。

例えば、その2
以前、素潜りに挑戦してみた。
いわゆる耳抜き、がうまくできなかったので、周りの人のように深く潜れない。耳が痛くなってしまう。
40-50mいきたいとは今のところ思わないが、5-10mくらい潜って岩の間を抜けたり、魚の写真を撮ったりしたいと思っていたが、
コツもつかめず、うまく出来ない。
海のツアーに参加して潜り方などをならい、3万円くらい投資したが出来なかった。
すると、自然とそんなに興味もなくなった(笑)
今でもできるようになりたいとは思うものの、多分自分にはできるようになるのに苦労すると察しているのか、あきらめも早い。

例えば、その3
最近趣味でゴルフを始めた。
当然最初は超絶に下手であった。そこからレッスンに通い、最低限を身につけなんとかコースに出れるレベルへ成長。
そこからまた、次はもう少しスコアアップしたいとは思うものの、さすがに毎日練習していない。
先日2か月ぶりくらいに打ちっぱなしに行った程度である。
でもそこに欲も執着もほとんど無いのである。
無論、もっとスコアがあがりたいとか、こんなショットが打てたらかっこいいとか妄想は広がるが自宅で練習や素振りとかするほどではない。

さて、話はまたヨガへ戻る。
どうしてこのヨガをきれいさっぱり辞めようと思わないのだろうか。
好きな時にすきなだけやれば良いのではないだろうか?

私が取り組むアシュタンガは少し特殊。
・基本、毎日練習する(満月、新月、生理期間はしない。本場インドでは週6回練習のようだ)
・練習は早朝が推奨され4時や5時台から練習
・練習時間が1時間30分ほど必要

ま、そのあたりが例示だが、要は時間もかかるし
ハードルが高いと思ってしまう自分がいる。
これが面倒くさいに気持ちが変化していっているようだ。

でも比べてみて、好きかどうかさておき
ネット、youtube、instagramを90分見てろと言われれば私はゴロゴロ、ダラダラしながらそれが出来る(笑)

なぜこのヨガの日常が辞められないのか、
だから今日はやるかやらないかと、毎日、毎朝、心が葛藤する。
そしてやらない理由を色々探す。
それもまたストレスである、。自分がダメ人間だと実感させられているようである。
もう少しその答えを探していきたい。

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