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あの子がいなくなった。オリジナル小説
エブリスタで、優秀作品に選んでいただいたもの。広告無しで読みたい方に。
怪談に見せかけた青春もの。
たまにはこういう話も書きます。短いので5分もかからず読めます。
1.
口裂け女や、赤い服の女のように、我が町にも怪談のたぐいはある。
そのひとつが、己の子どもを探す母親の話だ。
夕方に一人で道を歩いていると、「私の子はどこに行ったの? あの子がいなくなっちゃったの」と、喪服を纏った女に言われる。
そのときは必ず「あなたの家にいますよ」と言わなければいけない。間違っても「自分の家にいる」なんて言ってはいけない。もし言ったら、その女が家まで来て呪い殺されてしまうというのだ。
ただの怪談、または作り話だと思っていた。
実際に、その女性に出会うまでは─。
────
その日の夕方、私は、唇を噛みしめながら、早足で歩いていた。俯いていたのは、泣きそうな顔を誰にも見られたくなかったからだ。
早く家に帰りたかった。
帰って、部屋で泣きたかった。
『ねー。なんか臭くない?』
『あ。わかるー。さっきから、臭うよねぇ』
自分の外見だけを磨くことに命をかけてる女子たちが、蔑むような目でこっちを見てくる。
私が何をしたというんだ。
何もしてない。
彼女たちに文句なんて言ったこともないし、教室の隅で目立たぬように生きてきただけだった。それなのに。あの日、教室で体操服に着替えていたら、急に声をかけられた。
『あっれー? 四之宮さん、タンクトップに穴、空いてない?』
ぎくっとした。思わず血の気が引いた。そういえばお母さんから、『そんなの捨てなさい』と言われたのに、色が気に入っていたから、そのままにしていた。
まさかそれを目ざとく見つけられるとは思わなくて、固まってしまった。もしかしたらそこで愛想よく笑っていれば、何かが変わったかもしれないのに。
『ねぇ、四之宮さん。もしかして怒ってる?』
クラスで最も男子に人気のある、葛原茉百合さんがきっちり整えられた眉をひそめた。大げさに、周りもはやしたててくる。
『うわ、こわー。睨まれたー?』
『え。こんなことくらいで?』
『貧乏なくせに』
最後の呟きは、誰が言ったか分からなかった。だけどその日から私は、彼女たちのオモチャになった。彼女たちの遊びの対象になってしまったのだ。
これをいじめなんて言うのは、もっと酷いいじめにあっている人に失礼だと思う。だって私は物を隠されたり、殴られたりしているわけじゃない。
だけど、嫌なものは嫌だった。
休み時間のたび、こっちを向いてヒソヒソと囁かれたり、通り過ぎ際にわざとらしく鼻をつままれたり、耳ざわりな大声で笑われたり。
だけどそれでも今日までは我慢できた。
どうでもいい人たちに何を言われても関係ないと意地を張ることもできたから。それくらいの矜持は私にもあった。
でも今日は.......。
きっかけは席替えだった。
うちのクラスの席替えは、男女別々にくじ引きで行われる。私はひたすら願った。あの子たちとは絶対に近くになりませんように。
願いは通じた。彼女たちとは離れて、おとなしい女子たちと近くになった。ホッとしたのもつかの間、神さまは私の願いを叶えすぎた。
私の隣が、柴咲侑也くんだったのだ。
柴咲くんは、穏やかで人あたりがよくて、みんなに優しい人だ。男子の中には葛原さんのような美人と、私のような特に可愛くない女子たちに対して、あからさまに態度を変える人もいるけど、彼は違った。
どんな女子にも同じ態度で優しく接してくれるから、クラスでも人気があった。
私も彼のことは好きだった。告白なんてするつもりは絶対ないけど、好意は持っていた。だから隣の席になれて、ちょっとだけうれしかった。
それなのに。
『ねー。侑也くん。大丈夫うー?』
『その席、臭くないー?』
放課後、先生がいなくなった途端に、葛原さんたちが笑いながら近づいてきた。
柴咲くんはきょとんとしていた。
『え。別に、臭くないけど.......』
『侑也くんは優しいからぁー、でも気をつけてね』
柴咲くんの耳元に顔を寄せて、葛原さんがこっちを、私の方を見ながらにやりと笑った。
『この人、一週間くらいお風呂入らなくても平気な人だから......』
『靴下に穴もあいてるしねー』
『えー。マジで? それ、ヤバい。まさか一足しか持ってないとか?』
とても最後までは聞いていられなかった。
鞄をつかんで、教室から飛びだした。頬が燃えるみたいに熱くなって、喉の奥がきゅってしまって呼吸ができなくなった。
あんな低俗な人間たち、相手にしたくない。何か言ったらよけいにひどくなるかもしれない。
聞こえないフリをして、無視していればいつかは向こうも飽きる。そう思っていたけど、いつかが来るのが遅すぎる。
しかも、よりにもよって、柴咲くんの前であんなこと言うなんて。
泣くものか。
今は泣きたくない。
こんな道端で、泣くものか。
肩を震わせ、大きく深呼吸した。
赤い血みたいな夕陽を浴びながら、ふっと顔をあげた。その時だった。
いまさっきまで誰もいなかった場所に、黒い服の女の人が立っていた。
夕陽が眩しすぎて、どんな顔をしているのかまではわからない。だけど私の目の前に、進路をふさぐみたいに、その人は立っていた。
それが喪服だと気づいた時、全身の肌が粟立った。この町に住む子であれば誰でも知ってるあの怪談が頭に浮かんだ。
そして周りには私以外誰もいなかった。ふだんなら犬の散歩をしている人や、マラソンをしている人、誰かは必ずいるはずなのに、遠目に見ても、誰の姿も見えなかった。
一瞬、葛原さんたちのイタズラかと思った。だけど、彼女たちが先回りしたなんて考えられないし、私の家も知らないはずだ。待ち伏せしてこんな悪趣味なことをするほど、暇ではないだろう。
それにこれは人ではない。生きている気配がしない。
そのことだけは、ハッキリとわかった。
耳をすましていないと聞こえないような、低くて小さな声に、ぞくりとした。
「私の子を知らない? あの子がいなくなっちゃったの」
言い伝えと寸分違わぬ言葉だった。
大丈夫だ。私は冷静だ。何を言えばいいかも覚えている。手は震えているけれど、声はだせる。息を吸い込み、答えようとした時、なぜか頭に、さっきの光景が浮かんだ。
葛原さんの勝ち誇ったような笑顔に、柴咲くんの戸惑った顔を思い出したら、恐怖より怒りが勝った。だから私は言ったんだ。
「あの子なら、葛原茉百合さんの所にいるよ?」
2.
瞼がくっついたみたいに開かない。頭もぼうっとしている。眠たくてたまらないのに、昨日は一睡もできなかった。
よほどひどい顔をしていたのか、母親からは今日は休んだら?と珍しく心配されたけど、ムリして行くことにした。
あの女の人に向かって、葛原さんの名前をだした瞬間は、胸がスッとした。憎しみで凝り固まっていた心が、ようやく晴れたきがしたけど、歩きだした瞬間、鉄球をぶら下げられみたいに心が重くなった。
罪悪感なんて抱かなくていい。何かあったとしても当然の報いだ。
そう何度も思おうとしたのに、とんでもないことをしてしまったという想いは消えてくれなかった。あんな女、どうなってもいい。いっそ呪われて死ねばいい。そう思ったからこそ、あの時その名前を出したのに。
認めたくないけど、後悔していた。
学校に行くのは怖かった。だけど、行かないのはもっと怖い。
昨日の帰り道は、二度といきたくないと思っていた学校に急ぎ足で向かう。駆け込むぐらいの勢いで教室に飛び込むと、クラスメイトたちがびっくりしたようにこっちを見てきた。
かまわず、葛原さんの姿を探す。
右奥から左奥まで、隅まで見渡したけど、取り巻きの姿は見えても、葛原さんは見つけられなかった。
「.......四之宮さん」
いきなり声をかけられ、ビクッとした。ハッとして振り返ると、廊下に、柴咲くんが立っていた。控えめに微笑んで、私を見ている。
「おはよう、四之宮さん」
昨日、何も言わず逃げるように帰ってしまったことを気にしてくれていたみたいな、優しい表情に泣きそうになる。
私はあなたみたいないい人に気遣ってもらえるような人間じゃない。酷いやつなんだ。ますます罪悪感がひどくなる。
結局、葛原さんはその日、学校には来なかった。何かあったのか気になって気になって気になってしょうがなかったけれど、連絡なんてとれるわけもない。
中心人物がいないせいか、今日は女子たちも変にかまってこなかった。久しぶりの平穏な時間。それなのに心ここに在らずの、落ち着かない一日になってしまった。
葛原さんが学校に来たのは、三日後だった。
彼女の姿を見てホッとするなんて、ちょっと前からすると考えられなかった。
目も落ち窪み、骸骨みたいな顔にでもなっているかと心配したけど、顔色もよく、肌もつやつやしていた。かなり元気そうだ。
取り巻きの女子たちが葛原さんの周りで大騒ぎしている。もちろん仲間に入るつもりはないけれど、遠くにいてもいやでも声は聞こえてくる。
「えー! い、い、いっせんまん?」
「うそー! ほ、ほんとに?」
「しかも、お母さんが職場で貰った宝クジだったのよ。すごくない? あとね、お父さんも東京に栄転することになったの! だから家族で引っ越すことになったんだよねぇ。その準備で、バタバタでさぁー!」
「えー! 茉百合、引っ越すのー?」
「うん、ごめん。急に決まっちゃったの!」
謝りながらも、葛原さんは幸せそうだった。
取り巻きの女子たちは、不満そうな顔をしていた。それはそうだろう。葛原さんにすり寄って、おこぼれをもらっていたようなものだったから、それが無くなるのは困るだろう。
それにしてもおかしな話だ。
私は確かに喪服の女の人に、「葛原さんの家にいる」と言ったのに呪われるどころか、いい事ばかり起こっている。
拍子抜けすると同時に、体中から力が抜けた。ずっと抱えていた罪悪感が消えていく。
やっぱり私みたいな小心者に人を呪うのは向いていない。葛原さんのことは今でも嫌いだけど、生きていてくれて心底ホッとした。
しかも転校するのであれば、二度と顔を合わさなくてすむ。
私にとっても、いい事づくめだった。
3.
その日の帰り道、再び、あの人に会った。
不自然なくらい、誰もいない夕方の道。
「私の子はどこに行ったの? あの子がいなくなっちゃったの」
煤けた喪服に、この間と全く同じ台詞。
相変わらず、夕陽が眩しすぎて表情までは見えない。
それでも不思議と私は落ち着いていた。恐怖はあまり感じなかった。むしろ哀れみさえ感じていた。
瞳を細めて、女の人をただ見つめる。ふと、喪服の袖口がほつれて、穴が空いているのに気づき、胸がしめつけられた。
いつまでこの人は、いなくなった子を探すのかな。
ふっと、そんなことを思った。
呪われるはずの葛原さんはびっくりするほど幸せになった。でもこの人は変わらない。いつまでもこれからもずっと、永遠に我が子を探し続けるのか。
そう思うと、胸が苦しくなった。
だから、代わりにこう言った。
「あの子がどこに行ったのかはわかりません。だから一緒に探してあげます」
呪われても、どこかに連れていかれてもかまわなかった。いっそ私をあの子の代わりにしたってかまわない。
私は自分がいかに醜い人間か知っている。だから彼女に私を罰して欲しかったのかもしれない。
背後から風が吹いてきた。生ぬるい、気持ちの悪い風が首筋を撫でた。
太陽が一瞬、雲に隠れた。そのお陰で私は、その人の顔を見ることが出来た。そして息が止まるほど驚いた。
その人は微笑んでいたのだ。
泣きそうな顔で笑っていた。
「ありがとう」
心が震えるくらい、優しい声だった。
そのまま、微笑みながら彼女が夕陽の中に消えていった。
それから何分がたったのか。
犬の散歩に行く人が、立ち止まったままの私を不審そうにふりかえっていく。
俯いた私の瞳から、涙があふれた。
叶うなら、本当に、一緒に探してあげたかった。まさかあんな風に笑ってくれるなんて思ってもみなくて、苦しくて、でもうれしかった。
いつか彼女の探している子も見つかるように、そう祈らずにはいられなかった。
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