映画「アリ地獄天国」
横浜シネマリンで「アリ地獄天国」と「三島由紀夫vs東大全共闘」を観ましたが、両方とも素晴らしいドキュメンタリーでした。今回は土屋トカチ監督の「アリ地獄天国」の紹介をさせていただきます。
関係ないですが、緊急事態宣言でミニシアターの存亡が危惧された中、横浜のミニシアター(横浜シネマリンとジャック&ベティの両館)が経営継続でき、本当に良かったです。横浜シネマリンは地下のこじんまりとした上映室で、上映前に亡き王女のためのパヴァ―ヌが流れる、映画を観るためだけの空間と時間を過ごせる貴重な映画館です。映画館、特にミニシアターはコロナで大きなダメージを受けた産業の一つですので、本記事で興味を持たれたら、普段ミニシアターにあまり足を運ばない方も一度行ってみてください。
※作品の内容に触れていますので、ドキュメンタリーですが気になる方はご注意ください。
所謂ブラック企業と闘う社員に、約3年の密着取材をしたドキュメンタリーです。株式会社引越社のトップ営業マンであった男性は、月392時間の長時間労働の末に過労による事故を起こしてしまい、修理代として多額の支払いを会社に命じられます。それは本来払わなくていいものであることを知り、誰でも加入できる労働組合であるプレカリアートユニオンに加入し抗議するのですが、そこから会社からの苛烈なイジメが始まります。正社員唯一の「シュレッダー係」に転属され、社内シュレッダーとゴミ捨て場を往復する毎日が、都合2年弱続きます。
まず驚くのは引越社の凄絶なブラックぶりです。Youtubeで検索すれば、組合のデモ活動を妨害しに現れた副社長と本部長の恫喝動画を見ることが出来ます(映画では目線が入っていますが、Youtubeでは目線無し)。彼等は組合との対談の場でも「口が臭い」などと叫び、一切議論に応じようとしません。また、男性の写真と「罪状」を書かれた「罪状ペーパー」(これも検索すれば出てきます)を会社のあちこちに貼られるなど、一般常識を遥かに超えた嫌がらせが続きます。ニュースやSNSの告発だけでは伝わらない、「ブラック企業」が手触り感を持って立ち現れます。
ただこの映画が素晴らしいのは、話題になった労働争議を最初から最後まで精緻に追い続けたドキュメンタリーであるだけでなく、2つのストーリーを見出すことができるからです。
一つは男性の成長物語です。当初、実直で仕事熱心、営業トップであった男性は、しかしどこか受け身で、自分の状況もどこか他人事のように捉えているような印象を与えます。そのため、最初は男性が会社と闘うというよりは防衛戦といった様相で、どちらかというと組合が彼を引っ張っていっている感覚を覚えます。
しかし、何もしなければ人生をメチャクチャにされてしまうという環境が続き、男性は少しずつ変わっていきます。そして男性の母の死の直後、自身と妻の実家に嫌がらせペーパーが送られらて来たことで怒りが頂点に達し、温厚だった男性が「やりやがったな、って感じですね」「許せない」と積極的に闘う姿勢を取り始めます。映画の最後では顔つきも全く違っており、自分の意思を胸を張ってスピーチすることが出来る逞しい男性になっています。普通の実直な青年だった彼は、権利は闘って勝ち取るものであるということを示し、他の引越会社社員からも「英雄」と言われるようになります。
もう一つのストーリーは、土屋トカチ監督の亡くなった親友へのメッセージです。映画の冒頭から要所々々で、監督の友人であり、過労死してしまった「山ちゃん」のことが語られます。最初は洋書の献辞(本文前のfor○○)程度のものかと思ったのですが、この「山ちゃん」の存在が、映画に意味のレイヤーを一つ追加しています。
監督が「山ちゃん」の話を、男性や組合の方々に涙ながらに語るシーンが中盤にあります。その後、生前「山ちゃん」から「ブラックで働いてる俺の映画を撮ってくれないか」と言われ、断ってしまったことをずっと後悔していることが語られます。観客はそのシーンまでに、男性が会社から傷つけられ続けた様子を見ており、辛さを共感し義憤を覚えているので、「この映画は単なる記録ではなく、男性に寄り添う味方(観客自身)を作っているな」と気づかされることになります。同時に、であるからこそ、それを親友の「山ちゃん」にしてあげられなかった監督の無念に強く共感することになるのです。
「山ちゃん」は、映画がどうこうではなく、誰かに寄り添ってほしかったのではないか。「山ちゃん」の子供が描いたパパの絵が写ります。
横浜シネマリンでの上映は終わってしまいましたが(※)、京都、神戸では近日上映となっています。他地域でも再上映や配信によって視聴可能になるかもしれないので、そのような機会があれば観てみてください。
※追記:横浜シネマリンでは、今秋のアンコール上映が決定されたようです!!
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