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とっちらかった自己紹介-その1-

こんにちは。皆様。まことと申します。

えー氷河期世代のサバイヴ術としての起業についてnoteを書いていこうと思ってるのですが調べなきゃいけないことがあってちょっと停滞してます。

なので、自己紹介をまずしておくべきだろうと思ってですね、ペコペコキーボード叩いてる次第です、はい。

私のことを一言でいうとですね、「教育学部で物理学をガッツリやった元農家の元教育起業家で、今はプログラミング教室の校長やりながら、アプリ開発してる」人間です。はい、ぜんぜん一言で言えてないですね。

いやーとっちらかった経歴ですよねぇ。我ながらそう思いますわ。ただ、今回のnoteに書き始めるきっかけをくれた氷河期世代の面々さんたちの話を聞くと、そういう方が多すぎて、このとっちらかり方が氷河期世代を特徴づける一つのキーワードかもしれない、とか思ってます。

私自身はこれから起こる就職困難期を新氷河期世代、と呼んでますが、私たち旧氷河期世代と違うところは何かというとそれは既に氷河期を日本社会が経験してる、ちゅうことなんですよね。つまり私たちがいる、ということです。私たち旧氷河期世代の仲間の一致した意見として、もう自分たちのような苦しみはさせたくない、というのは強く強く思ってますから、その点は新氷河期世代の皆様には理解してもらって、頼ってくれたら嬉しいです。

さて、自己紹介なので、とっちらかった経歴を少しずつほぐしていきましょうか。

まず、前半部分ですな。「教育学部で物理学をガッツリやった元農家の元教育起業家」。

はい、ときは1997年。世が新世紀エヴァンゲリオンと小室サウンドに浮かれポンチな時代にワタクシ大学に入学しました。平成でいうと9年ですねぇ。

家が貧しかったのもあり、奨学金で先生なれば返さなくていいという条件があったのもあり、教育学部に進んだんですよ。信州大学という国立のね。まぁ、先生になるには駅弁大学の教育学部に進むというのが一般的な時代ではありました。

でねー、若かった自分には「科学を教える先生になりたい!」っていう青臭い思いがありましてね。科学のこと学ぶぞー、教育のこと学ぶぞーって意気込みはあったんですよ。でもねー、行った大学は、あんまりそういう雰囲気じゃなかったなぁ。受験が終わったからもう勉強しねーって同級生が多かったです。全員じゃなかったですけどね。

教育学部だから他学部からは馬鹿扱いされるしね。悔しかったですね。家の貧しさでこういう進路しか出来なかったのに。一年だと教養課程というのがあって他学部の人間と同じ授業を取るんですよ。工学部でもね、ぜんぜん数学とか出来ないやつがいたりして、何しに学校来てるんだろうなこの人、って思ったりしました。そういう人間に限って学部で差別するんですよね。

はぁ。

大学の勉強は楽しかったですねぇ。本当に。教育学部の理科というところは節操なく何でも学べるところで、心理学も、社会学も、歴史も、当然、科学全般も何でも学べて楽しかった。あと、部活でアメフトなんかもやってね。これは辛かったけどね。まぁ、今考えると、その後の地獄のような日々を乗り越える糧になったのは確実にこの時期吸収したことがベースになってるとは言えるますわな。ま、それついてはおいおい。

でね、二年に上がっときに研究室に所属するんです。二年でゼミに入るってところは多くないはずです。でも当時のうちの科はそうだった。で、自分は物理が好きだったから物理学の研究室を見学したらね、すげーの。実験の機械が。

ESCAっていうね一億円くらいする機械がデンと研究室に鎮座しているところがあったのですよ。T研究室というところに。もう一目惚れしちゃってね。

その機械の簡単な説明をするとね、固体の元素の組成を測るためにものすごい真空の中でX線を照射して飛び出した電子を捕まえるって機械。原理を理解するだけでも結構大変な機械だったんだけどね。一目惚れしちゃったんだなー。

結果として、そのエスカちゃんとその後5年間お付き合いすることになるので、その恋は実ったというべきなのかもしれない。自分があんまりエスカちゃんエスカちゃんっていうもんだから、友人には本当にそういう女の子と付き合ってるんだって思ってたやつが少なからず居た、というのは今となっては笑い話。

で大学時代はアメフトで体を酷使しながら、勉学に励むみたいな生活を2年半。その後、体を壊してアメフトを辞めたらもっと勉学に打ち込む、みたい感じでそのまま大学院へ。

大学院では本格的にエスカちゃんと蜜月関係で研究生活をすることになってね。T教授の指示通りに実験をやろうとすると24時間機械を止められないなんてことになって、学部生(つまり後輩)と8時間交代でシフトを組んだりしてね。それがほぼ日常になってました。まぁ、体も心も酷使してたってのは事実かな。

まぁ、でもその成果があって修士論文「C60分子のSi基板上の熱的挙動について」はなんとか完成の目をみることになるわけです。エスカちゃんはタイトルに入ってないんかい!と言われると困るのでラノベふうに直す。

「うちのC60があんまり丸いんでシリコンの表面に乗っけたらコロコロ転がったのをエスカで見たらめっちゃ楽しかった件」


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えーいろいろ大丈夫かな・・・・

自己紹介といいつつ前半「教育学部で物理学をガッツリやった元農家の元教育起業家」の前半しか出来てないけど(汗)。前半の前半でこんなんだわ・・・。

まぁいいや、この分だと4部構成だ!許して!

でも一応ここでまとめらしいことも書いておこう。

ここでね、知っておいてほしいのは、ここで出てきたアメフト部や大学の研究室が既に今の価値観でいう「ブラック」※な環境だったってこと。当時は誰にそれが悪いとは思ってなかった。やってる自分は辛かったけどね。そういう時代があったってことは今の若い人が知っていても損はないはず。気を緩めるとそういう時代に戻ってしまうかもしれない、という危機感はサバイブする上で大事な心構えだ

その時代を生きた自分でも、それがあったから今がある、なんて肯定的には捉えられない。あとで話すけど、大学時代のアメフト部でやった首の怪我が回り回って俺の農業人生の終止符を打つことになる。だから、ああいう時代の雰囲気は許せないと思ってる。

自己紹介、長くなってしまったけれど次回「ブラック※企業編」!ご期待あれ!!

※ ブラック企業という言葉を人種差別的な意味で別の言葉で置き換えるべき、という主張があることは理解しています。しかし、私としてはそのような言葉狩りはかえって物事の本質を見えなくし差別を隠蔽する危険がある、と思ってあえて使っています。この文章にアフリカにルーツを持つ方々へ差別を助長する意図はございません。ご理解をよろしくお願いいたします。

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