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2024/01/21 BGM: Silent Poets feat. Terry Hall - Sugar Man

今朝、ぼくは毎月恒例の「発達障害を考えるミーティング」に参加した。その席でぼくは他のメンバーの方のすばらしいお話を聞かせてもらうことができた。彼らがどう未来を切り拓くべく悪戦苦闘しているかという話で、実に印象深いものがあった。だからこんなことをぼくは見つめ直さなければならなくなってしまった――いったい自分は何をやっているんだろう、と。何かぼくも自分の道を切り拓き、未来を形作ることを新たに始めないといけないんだろうか。

ミーティングが終わったあとの昼食時、独り言としてつぶやいてしまう。「自分はいったい何をしているんだろう……」。いや、そんな考えはたしかにつらい陰鬱なものだった。でもいま一度ぼくは自分自身に向けて問い直すことをやめられなかった(こんなふうにして新しく人生を見つめ直させられるという意味で、耳に痛いときもあるけれどこのミーティングは有意義なものであると思う)。「何をしているんだろう。もう49歳で若くもないのに。こんなふうにして同じように決まりきった道を無難に生きたいんだろうか」……いや、少しばかり「痛い」「突き刺さる」問いだ。でも、無意味ではないだろう。

英語を使って、メモパッドにアイデアをいろいろ書きなぐっていく。そして、このミーティング(他のメンバーたちとの人間関係)から得られたことを思い出す。その1つが、自分なりに哲学の深遠な世界を探究・学習すべく哲学書を読み漁る試みを始めたことだ。思い出すのはある友だちが言ってくれた「あなたの考えは哲学的ですね」というコメントで、そんなコメントがぼくをその道へと導いたのだった。

でも、いますぐ仕事を辞め学校に留学・入学して哲学を学ぶべきか……いや、焦ることはまったくもってないのだ。そう自分に言い聞かせる(実に「単細胞」な人間なので)。午後、メモパッドにアイデアを書き書き三木那由他の本『言葉の風景、哲学のレンズ』を読みふける。この著者のようにぼくも自分の哲学の問題を問いたい・考えていきたいと思った。ぼくたちが使う言葉全般について(バーバルコミュニケーション、というやつだ)、世界について、ぼく自身の存在について(なぜここに「ある」のか)、などなど。

夜になり、ぼくはジャン=ポール・サルトルの『嘔吐』をいま一度パラパラ読み返してみた。主人公のロカンタンが世界を果敢かつ大胆に見つめているところが印象に残る(この世界を実に明確に捉えよう・理解しようとするカメラのようだ)。彼のようになりたい、見習いたいと思う。このナイーブ(愚鈍)なぼく自身の心をフレッシュに保ち続けたいな、とも。そうすればいつかぼくは自分の仕事ができるのかもしれないとも思った。いや、これに関しては「なんとなくだけどそう思った」としか言えないのだけれど。

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