見出し画像

1年間日本語と英語で日記を書いた結果

先月29日、ぼくはいつものように日記を書いた。これはぼくにとっての毎朝の日課となっている。まず日本語で日記を書き、それを自力で英語に訳す。もちろん機械翻訳を使わず、わからないところは辞書を引き引き訳していく。そんなことを続けてついに29日に「1年間」欠かさず日記を書き続けるという仕事を成し遂げた。びっくりされる方もおられたかもしれないが、ぼく自身が一番驚いている。これを人に話すと「私には無理」と言われることもあるけれど、ぼく自身だって自分の三日坊主に悩んでいたのだ。嘘じゃない。これまで、何冊日記帳を買って放り出したことだろう。

1年間日本語と英語で書き続ける。そんなことを続けたら何かが変わっただろうか……ぼくはDiscordというツールを使って英語でチャットをしたり記事を載せたりしているのだけれど、海外の非日本語圏のからも「英語がうまくなったね」と言われる。もちろん、ぼく自身に自分の英語の良し悪しなんてわからない。だから素直に受け取るのが吉かなと思っている。1年間英語で書き続けてえられたのは、そうして単純に英語がうまくなったということかな、というのがまず1つ目に思いつくことだ。他に何か変わったことがあるだろうか。

あるとするなら、ぼくはこうしてアウトプットの時間を朝に設けて、かつ一定の字数を書き続けることによって自分の定点観測ができるようになったということかもしれない、と思う。今自分はどんなことに悩んでいるだろう、どんなことに気づけているだろう……そんなことを日記という形式の中に書き連ねていく。そうすることによってぼくは自分自身を取り戻すことができ、心の健康を回復することができる。自慢じゃないが、ぼくは本当に心が弱い。だけどこうした習慣を身につけることによって自分を可愛がる術を身につけられたのではないかと思う。

そして、ぼくは習慣の力というものを信じられるようになった。ということは、どんなことでも習慣になれば慣れうるという自信がついたということだ。明日もぼくは朝起きたら、昨日のことを日記に書くだろう。そうしてディスプレイに出てくる文字を読んで自分自身が何を考えているか感じ取り、自分自身と対話を行う。意外と可愛いところのある自分自身について、愛することができるようになったとも思う。こうした英語力と自己肯定力のアップがこの日記を続けて得られたメリットだったかもしれない、と思う。自分にしっくり来る事柄を身につけるのは難しいけれど、ぼくだって47歳になってできるようになったんだ。焦ることはない。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?