キアゲハ

自然と戯れるように生きていきたい。科学では説明できないことも、そのまま受け止めたい。 …

キアゲハ

自然と戯れるように生きていきたい。科学では説明できないことも、そのまま受け止めたい。 あったのに、使っていなかった自分の感覚を取り戻すために、ここを使う。羽化した蝶が羽をゆっくり伸ばすように。ゆっくりと。

最近の記事

箱根へ湯治

いろんな予定がずれたりキャンセルしたり取れなかったり。 ぽっかり空いた日。 前日夜に調べて、ピンと来た、箱根の源泉掛け流し温泉へ。 日帰りで行こうと思えば行けるのだなぁ。 観光せず、温泉、昼寝、温泉、ランチ、昼寝、温泉、カフェ、と、その繰り返しのみ。 ぼぅ、っと良い感じに頭が緩みました。 須王フローラさんの本を読みながら行ったせいもあり、あちこちの木々や風に、妖精、感じた。 こういう感覚全開で、生きていきたい。 久々、羽を伸ばしました。

    • 早くも興味は和蝋燭へ

      ここ数週間、ひたすら、キャンドルについて調べていた。 ただ、ジェルキャンドル一筋で行こうと思った矢先、 白いキャンドルでもグラデーションが綺麗なものがあり、それもいいかと調べる範囲を広げ、 ただ、キャンドルで頭痛があることにいささかショックで(いいものなのに断念か??) 今度は素材を見直し。 あれよあれよと、素材は、蜜蝋やら、和蝋燭に。 そして、本日1人モーニングした帰りに、ミニ和蝋燭(米ぬかロウ)を見つけ、購入。 家に帰ってからも延々和蝋燭について調べ、 ・和蝋燭文

      • キャンドルも体験

        昔から、キャンドルの炎が良いとは思っていた。 けれど、火の扱いが怖いとか、変にオサレ気取りとか、いろいろ考えて実行せず。 今回、自分で作ったことで、3日間連続で火を灯している。 炎を見ることで、私の中の不要なものも燃えていくよう。 火は浄化とはよくいったなぁ。 心がクリアになる感じ。 夜のキャンドルは、しばらく続けたい。 近すぎると、揮発性成分か、酸素不足か、頭痛がするので、本日は、サーキュレーターかけながら、遠目から。

        • キャンドル制作へ

          ずっとやりたいとうっすら思っていた、ジェルキャンドル作り、ようやく始める。 まずはじぶんのため。 作りたいキャンドルを作ろう。 火を見ることで、呼吸が楽になるのを感じる。火は余計なものも燃やしてくれてるようだ。 時間を作って作っていこう。

        箱根へ湯治

          描けるか、明るい未来

          不安が強いため、すぐにネガティブな未来を描きがち。 未来の明るい気持ち、希望を先取りして、今を照らす。 訓練が必要か。 感覚がわかりそうで垣間見える部分もあるが、まだまだでもある。 少しずつでも身体と心の感覚に優しく寄り添えますように。 久々の早朝の森の中は、静かで、でもいろんなモノたちの気配がして、洗われる感じだった。

          描けるか、明るい未来

          黄緑のイメージ

          黄緑色のイメージ。潜在意識。 =========== 草原。草は少し長めで、膝くらいか。 目線はその草を下から見上げてる感じ。 薄い水色の空。雲はない。 それと草原のコントラスト。見渡しても家も人もいない。 風が爽やかに吹いて心地よい。草もサワサワとなびいている。 やさしい、心地よい、の言葉が浮かぶ。 草原の草の間からたぶん白いうさぎがちらっと見えて、そして、壁掛け時計がチラッと見えた。白い盤に黒い数字がおしゃれに描かれていた。柱時計?? 場所が少し変わったのか、見渡

          黄緑のイメージ

          緑のイメージ

          緑色のイメージをおろした。その記録。 健在意識。 ======= 森。木の葉っぱ。濃い緑。木を見上げる。生い茂った葉っぱたち。常緑樹。森の中は暗い。でも怖くない。森の中は暗いが、天気が良くて心地よい日。木漏れ日。 風でサワサワと葉っぱが鳴り、葉が落ちてくる。厚めの葉っぱ。葉脈。葉の裏は表よりも白っぽい。 葉っぱはつるっとした、光沢のある葉っぱ。 森の奥を眺めると暗い細い道がある。人はいない。奥に何があるかわからない。怖い感じはない。強い、という言葉が浮かぶ。 自分が行き

          緑のイメージ

          視えるとは

          視える、という言葉は、よく、スピリチュアル界隈の人が使う。 神様が視える、とか、精霊が視える、とか。 その意味でいくと、私は視えない。視たことないと思う。 でも。 今日、とあるスピ系ワークに参加していて、唐突に気づいた。 何かをみて、そこからイメージが湧いて、それを拾うこと、私、昔からやってる。これも、視える、視てるということなのか、と。 色からイメージを飛ばすのは心地よい。 そのイメージを追いかけて進んでいくのも楽しい。 その感覚は知っていたのに。 信じていなかっ

          視えるとは

          館山で海と戯れた時のこと

          10年以上前のこと。 仕事に疲れて、1人で館山へ2泊3日で旅に出る。 誰にも気を遣わず、心の赴くまま、あちらこちらへ。 2日目の夕方、館山の海を歩く。波打ち際をなんとなく歩いている時に、それはあった。 海と、自分が、溶けて一体となっていた。自分が海に溶けていたのだと思う。歩いている自分の体の感覚はあるが、意識は溶け出していて、波と行ったり来たりの会話をしていた。 言葉はないけれども繋がっているのはわかる。波の満ち引きが会話のやりとりのようで、その心地よさに、私はずっ

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