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奴隷合宿体験記

 ゆる言語学ラジオのミームとしておなじみの「インプット奴隷合宿」を敢行してみた。

 「奴隷合宿」自体の説明や解釈は、ゆる言語学ラジオ本編先人の記をご参照あれ。とにかく、時間をたっぷりと使って情報を入れることができるステキ企画なわけだ。

はじめに


 まず、インプットする媒体は本としよう。書物の奴隷になるのだ。これで私の死因は書物(粘土板)による圧死が確定した。

 書物の奴隷と聞いて一番に思い浮かべるのは、作家と翻訳者の関係だろう。作家を「主人」、翻訳者を「奴隷」に喩えるのはよく聞く話だ。日本が誇る英米文学の翻訳家・岸本佐知子氏は、翻訳者に求められる資質を「奴隷的性分」と言う。テクストに向き合う際には、奴隷として作品に仕えることが大前提なのだ。

 このことは、趣味として批評を始めようとしている私にも十二分に当てはまる。精読(インプット)の段階では、読者のバイアスのせいで作品内事実を誤認することのないよう、這いつくばって作品をペロペロ舐め回さなければならないのだ。

 その姿はまさに奴隷。


「奴隷合宿」概要


日時:2022年2月25日(金)~2月27日(日)
場所:近くのドーミーイン

 都市部のホテルであろうと温泉はマスト。予約アプリでとても安くなっていたので即決。

持ち物:
・谷崎いっぱい
・文藝評論数冊
・酒(麦酒、日本酒)
・衣類、洗面道具
・隷属への熱い心

 今回は最推しの谷崎潤一郎を深めるために時間を使いたい。解説や評論を著せるようになったら楽しいのだろうなと夢想。

目的:
・大谷崎サマに隷属する。
・批評的な読み方の基本のキを身につける。
・NHK「100分de名著」の谷崎潤一郎の回で扱ったものをひととおり読んで、再解釈を試みる。


 いざ、参らん!!


一日目


16:00 奴隷合宿開始
16:15 身辺整理

和洋室タイプの部屋。

 自宅にあるのがいわゆるデスクなので、文机で読書をするのはなんだかワクワクする。


16:30 読書
『文豪ナビ 谷崎潤一郎』新潮文庫編
『100分de名著 谷崎潤一郎スペシャル』島田雅彦

 まずは頭の中に地図を描く作業から。今回メインで読み進めるのは「痴人の愛」「吉野葛」「春琴抄」「陰翳礼讃」の4篇。新潮文庫に収録されているものを精読していくことにする。「吉野葛」以外は一度読んだことがあったので、大意を掴むよりかは丁寧に読むことを意識しよう。


17:30 買い出し&夕食
飲:レモンサワーグラス1杯
食:よだれ鶏(お通し)、油淋鶏、エビチリ

エビチリ 380円。

 ホテル(以下「獄舎」という。)から歩いて数分の大衆中華料理店にて。酔わぬようレモンサワーを一杯だけ。油淋鶏とエビチリ。レタスチャーハンも頼んだが、しばらく経っても来なかったのでそのままお会計。満腹だと眠気を催すからこのくらいでいいか。むしろありがたい。急いで獄舎へ戻る。
帰りがけに念のため麦酒を一本追加で買っておく。乾燥おつまみもいくつか。

19:00 読書
『痴人の愛』

 奴隷といえばこの作品。老獪・谷崎の変態性がにじみ出ている。序盤の譲治のキモさに目をつぶって、テクストに集中した。

21:00 入浴
22:00 夜食
食:夜鳴きそば

あっさり醤油味が嬉しい。

 ドーミーインは風呂と夜食が充実していて最高だ。この瞬間だけは、奴隷であることを忘れる。

22:30 TV視聴
「星野源のおんがくこうろん」
飲:ヱビスビール350ml
食:クラッツ ペッパーベーコン味

 例の「やべー番組」。アリー・ウィリス特集の回。余暇のつもりが思いがけず良質なインプットに。

23:00 読書
『痴人の愛』
「孔雀」三島由紀夫(『長野まゆみの偏愛耽美作品集』長野まゆみ編)
「魔術師」(『人魚の嘆き・魔術師』)
飲:ヱビスビール350ml×2

 奴隷復帰。日付を跨ぐくらいに「痴人の愛」を読み終え、本日の苦役(通常人からみて普通以上に苦痛を感じるような任務)は終了。麦酒を開けながら、読みかけだった長野まゆみさんの新刊を開く。谷崎作品の「魔術師」は別途、中公文庫から出ている装画付きのものを。「孔雀」(三島)にも「魔術師」にも、孔雀が美しいものとして描かれている
 公園の気味悪さの描写で皮蛋が出てきて、さっきの中華屋で頼めばよかったと後悔。ここらへんから飲酒により酩酊状態。魔術にかかったかのよう。だんだん眠気が押し寄せてくる。

酩酊状態でヱビスのピントがズレる。

Tips:『細雪(全)』はブックエンドとしても優秀。

翌3:30 入浴
翌4:00 就寝
 だいぶ酔っぱらっていたけど寝る前にちゃんと化粧水と乳液塗った。褒めて。


二日目①


7:00 起床
 完全なる二日酔い。阿呆。
7:30 入浴
 胃が動いて酔いが醒めてくる。至高。
8:00 読書 
「魔術師」
 奇妙な世界の続き。魔法。

9:00 買い出し&朝食
飲:さくら咲いたミルクラテ ベンティサイズ ショット追加
食:石窯フィローネ照り焼きチキン

ドリンク大きすぎ問題。

 スタバ。いつか友人からもらったスタバチケットの期限が近付いていたので、ここらで使っておく。タダ同然。ありがたや。

10:00 読書    
「吉野葛」(『吉野葛・盲目物語』)

 少し遅くはなったが、奴隷としての苦役が始まる。「吉野葛」からは、古典に造詣が深い谷崎ならではの卓越した知性が感じられる。女性を性の対象として描写するのではなく、女神・デーメーテールのような「母なる存在」にまで昇華しているのには圧巻。谷崎、ただの変態じゃなかったのか…。

12:00 買い出し&昼食
食:鱒のすし、豚汁。
 ローソン。好物の鱒寿司の握り飯。

13:00 読書
『春琴抄』

 前言撤回、「痴性」じゃねえか。とはいえ、SM小説と名高い「春琴抄」の魅力は、それだけではないだろう。表層的にサド―マゾと理解するにしても、SMの定義をしっかりと踏襲する必要があるように感じた。谷崎はそもそもエビングを読んでいるし、自身のマゾヒズムの性質に向き合っている分、批評側も周辺知識をもって作品が示すことは何かを分析しないとままならない。

15:00 入浴
 完全にととのう。サウナの中では、春琴と佐助の関係性についてぼんやりと思いを巡らせていた。

16:30 読書
『春琴抄』
『SとM』鹿島茂
『谷崎潤一郎 性慾と文学』千葉俊二
飲:吉野川1合
食:ウズラ卵の燻製、さきイカ

この時間が全行程のハイライト。

 獄舎備え付けの効きが微妙な冷蔵庫から出した日本酒はちょうど花冷えになっていた。火照ったからだにつめたい酒を流し込む。頭が冴えてきたので、サウナで思案したことを書き出してみる。副読本にも手を付けて、考察が捗った。


余談


 少し脱線。挿話として楽しんでいただければ。

18:00 ポケットスコア購入

 獄舎近くのヤマハ楽器まで歩く。「魔術師」の半獣神(ファウン)とパンの会でおなじみ牧羊神(パン)の関係が気になって『牧神の午後への前奏曲』のポケットスコアを購入。学生以来オーケストラから離れていたので、スコアなんて久しぶり。

18:30 買い出し&夕食
食:小ぶりなおにぎり7個、ファミチキ
飲:朝日山1合

小ぶりなおにぎりはツマミになる。

 近場で評判のおにぎり屋さんにおにぎりを買いに出かける。ちょうど日が沈んだくらいだったが、ほどよく賑わっていた。ドアの前で中の様子を窺っていると、おそらく店外に備品を取りに行ったであろう女性店員に後ろから声を掛けられ、背を押されるがまま足を踏み入れる。

 店内は予想外に飲み屋のような雰囲気を醸していたが、快くテイクアウトに応じてくれた。ふくよかで感じの良い店員さんの笑顔に申し訳なさを覚え、待ち時間に酒を注文できないか尋ねてみた。すると、気の毒そうにドリンクが時間制であることを説明され、おにぎりをテイクアウトしてくれたからと、日本酒をサービスしてくれた。

サービスの朝日山。なんと1合も!


 違和感を覚えて店内を見渡すと、カウンターの内側の給仕は一人を除いて全員が若い女性。どこの卓でもおじ様とうら若き乙女が、楽しそうに談笑しているではないか。しかし、おじ様方の視線が少し邪な気もする。店内にいたおじ様の群れが、「痴人の愛」の譲治と重なって見えた。

 恐る恐る、近くを通りかかった別の店員さんに深刻そうな顔で業態を確認してみると、あっけらかんとした表情で「女の子のお店ですよー。」と長音交じりに返されてしまった。どうやら、思いがけずガールズバーに迷い込んでしまったのである。
 法外な料金を請求されるのではないかと、改めてメニュー表を眺める。しかし、説明を受けたとおり時間制のようだし、手元の一合もある日本酒は本当にサービスのようであった。居た堪れなくなり、メニューの下のほうに見つけた「スタッフドリンク」なるものを最初の彼女に差し入れてみる。これでいいのか、ガールズバーよ。

 この作戦が功を奏したのか、店員さんは笑顔の皺をより深くし、客席側まで来たのちに杯を重ねてくれた。「また来てね。」と言い残して名刺と連絡先を渡されたので、辛うじて正解を出せたのだろう。SNSに表示されていた生年月日は私よりも若かった。私も譲治か。

Tips:大卒社会人の年齢になると「お姉さんのお店」はもはや「お嬢さんのお店」になっている(従業員の大半が二十歳前後のため)。


二日目②


 閑話休題。

20:00 音楽鑑賞・読書
『牧神の午後への前奏曲』ドビュッシー
「陰翳礼讃」(『陰翳礼讃・文章読本』)
飲:吉野川1合

 ちびりと杯を傾けながら、デュトワ×モントリオール響のものを。「パンの笛」を思わせるフルートの主題が、霧がかかったような弦の響きとともに官能の極致へと誘う。スコアを開くと案の定、曲目解説に訳題の解釈が載っていた。

 fauneを牧神とするか、半獣神と訳すかは、けっきょく訳者の語感、あるいはことばによっていだくイマージュの問題ではないだろうか。

平島正郎による『牧神の午後への前奏曲』に向けた解説


 そうか。「魔術師」でファウンが「半獣神」となっているのは、醜いものとして描いていたからだろう。たしかにそういうイマージュを抱く。

 「陰翳礼讃」はコンプラ云々で各所からお𠮟りを受けそうなひどいエッセイだが、飲み会の終盤で聞く下世話な本音話のようでかえって良かった。

22:30 夜食
食:夜鳴きそば
 小休止。

23:00 読書
『100分de名著 谷崎潤一郎スペシャル』島田雅彦
飲:緑茶(獄舎に備え付けのティーバッグ)

 二日間の答え合わせ。ナビゲーターとして、学者的な読み方をしている島田雅彦氏と比べると、私のものは極めて表層的な理解にとどまっていると痛感した。それでも「春琴抄」については、佐助の観念世界に作品の魅力を見出せていたので、強ち間違いではなかったと自信をもつことができた。この作品はとても好きなので、論文等を漁ってもう少し深堀りしていきたい。

 ここでもう一つの答え合わせ。「痴人の愛」の背景について、以下の記述があった。

 創業当初の〔カフェー・〕プランタンはまだ上品で、めずらしい西洋風の料理(洋食)やコーヒー、酒類を女性ウエイトレスが提供し、裕福な客たちが会合などにも利用する社交の場でした。しかしほどなくして、そこで働く女給たちによる接客のほうが売り物となっていきます。きわどい服装、きわどいサービスで客をひく潮流は関西圏のカフェから始まったとされますが、いまでいうところのガールズ・バーのようなカフェ(喫茶店というよりは、接待色の強い、当時の風俗産業の一形態だと考えてください)が、各地にできていきます。

※〔〕は執筆者による補足

『100分de名著 谷崎潤一郎スペシャル』島田雅彦

 こればかりは大正解。譲治がナオミを見初めたカフエエは、女の子のお店と解すのが妥当だ。長野まゆみ氏は谷崎を「三十路にしてはやくも老獪な狸親父」と評していたが、私はそれよりも早くその道を進んでしまうのか。先が思いやられる。

翌3:00 入浴
翌3:30 就寝
 達成感に満ちていた。


三日目


7:00 起床
7:15 読書
『谷崎潤一郎 性慾と文学』千葉俊二
 目覚めもすっきりしていたので、総括のつもりで千葉俊二氏の谷崎論を。

8:15 朝食
食:バイキング

理想的な朝食。

 この瞬間から獄舎は「ホテル」へと戻る。小鉢がたくさんあって嬉しい。この芸当は自宅では成しえない。釜で炊いたという鰻の混ぜ込みご飯がとっても美味しくて、お茶碗2杯も食べてしまった。朝から満腹。

8:45 入浴
 朝風呂しか勝たん。

9:45 身辺整理
 思ったよりも時間が迫っていて焦った。本以外は適当に鞄に詰める。

10:00 奴隷解放
 生還。戦士のような気分。さしずめ(ビブリオ・)コロッセオに幽閉された剣闘士か。


おわりに


 週末をまるまる使って書物に隷属したこともあって、かなりの量を読み進めることができた。同じ週末でも家仕事がないだけでここまで時間が生まれるのか。当初の目的も達成し、充実した二泊三日だった。
 わりに栄えた駅周辺のホテルだったため、利便性がかなり高く、助かる部分は多かった一方で、買い出し等が合宿のノイズとなりうるように感じた。挙句の果てに、なぜガールズバーに迷い込んでしまったのだろう(谷崎のせいにしよう)。

 結局のところ、先人たちのように鄙びた旅館に車で乗り付けるのが一番だ。そして温泉はマスト。今度はもう少しあたたかくなったころに出向き、部屋の窓を開け放して風呂上がりの麦酒を呷りたい。

おまけ


記録(往復の電車内も含めて)

総インプット時間:25時間半
総入浴時間:5時間
総飲酒時間:7時間

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