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大学祝典序曲Ⅱ

 いやはやご無沙汰。久方ぶりに筆を執る。

 賢明な読者の皆さま(果たしてそんな素敵な存在はいるのか)には、おおかた察されているような気がしないでもないが、この半年ほどは自らの進退を賭けて悪戦苦闘していた。親もとで受験生として生活しており、有り体に言えば、落ちたり受かったりしていた。

 勤め人の身分を失ってから久しく、このまま社会的に消えてしまうかとも思われたが、なんとか受け入れ先を見つけることが叶った。日本海側で寒さを耐え忍んでいた頃よりも、長い冬であった。


 兎にも角にも、晴れて新所属を掴むことができた私は、大学院生として人生二度目の入学式を迎えていた。十代特有の万能感はとうに失せ、学友を讃えるファンファーレもどこか皮肉めいたものに聴こえつつある。

 私が初めて大学祝典序曲を弾いたのは、学部の二年次のときであった。当時所属していた大学の管弦楽部で迎え入れた新入生は非常に数が多く、それだけで全体の奏者の半分を占めていた。せいぜい一つしか離れていない彼らは烏合どころか粒ぞろいで、もはや在学生の私が気圧されるほどであった。

 新入生を迎えるという立場で学生歌こそ当然のように諳んじられるようになっていたが、それ以外の点で優るものを見つけられず、見捨てられないかばかりを気にしていた。楽器の技量だけで言えば私よりもはるかに熟達していて、むしろこちらの方から教えを乞うくらいであった。

 自らの立場が危うく祝福からも無縁であったが、虐遇とも無縁で、ファゴットの新人いびりのような主題はひとごとのように感じられた。


 そこから柿も実をつけるほどの時が経ち、ひそやかに講堂に佇む。肩を並べる新入生が異様なまでに若い。

 着慣れていない正装も、派手に染め上げられた頭髪もみな可愛らしく思えてくる。酒に酔いながらひどく陽気に歌い上げる学生歌も知らぬ彼らに心からの祝福を送る。洋々たる前途は共に拓きつつ、皮肉や意地悪なんてものは私が一身に引き受けれてやればよいのだ。


 ところが私の空威張りは二日目にして終わる。昨日とは打って変わって、構内ですれ違う学生はみな身ぎれいで、テレビで見かける韓国の子らのように洗練されていたのだ。

 腰を据えてものごとに打ち込むために少し郊外に来たつもりが、私のような怪しい風体の者などひとりとしておらず、圧倒的に後ろめたい。授業が被ることはないので、本当にすれ違うだけなのだが。

 目にたしかな光を湛え、揚々と練り歩く新入生の会話から、デビューを飾るには思い切りの良さが大事だと盗み聞いた。早くもまねばんと、ひとまず彼らに倣ってパーマでもあててみることにでもする。

 いざ楽しまん!Gaudeamus igitur

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