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虹色の魚を運ぶ男

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ずっとインターネットと繋がっていなければならない、そんな気分の日々が続いている。仕事も、授業も、なにもかもオンラインに切り替えることが推奨されている。そんな今日と、正反対の日々のことを思う。

一年ほど前に、滞在していたキューバの旧市街は、おおよそインターネットというものに繋がることができない場所であった。想像がつかないかもしれないが、free wifiはおろかスマートフォンも普及していない。観光客用の高級ホテルではfree wifiのようなサービスもあるだろうが、2ヶ月間、カーサ(家)を貸し切って生活したのでネット環境に苦心した。

まず私のような日本人がwifiを利用するには、"wifiカード"というものが必要になってくる。これは、1時間からwifiを接続でき、パスワードがスクラッチの下に記載されている紙製のテレカのようなカードだ。接続可能時間はトータルで1時間/1枚なので、ちまちまと分割して使う。(まさにテレカのように...)そしてスクラッチを強く削りすぎると、パスワードまで削れてしまって大変なことになる。諦めきれずに何度、数字を0から9まで当てずっぽうに入れてみたか分からない...。

そしてこのwifiカード、どこでも使えるわけではない。観光客であれば、フロントで購入したカードに限るが、ホテルのロビーで使うことが出来る。ホテルとカード番号は紐付けられているのか、他の場所で購入したカードが使えることは稀であった。そのため、カードを目抜き通りにある通信ショップ(この店のことをなんて形容したらいいか分からない。携帯がたくさん売られているわけでもないので、携帯屋とも言えない。テレカだけを売るドコモやauショップといったところか...。)から手に入れるか、公園で声をかけてくるダフ屋から購入する必要がある。

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「...ワイファイカード?」と独特のイントネーションで声をかけてくるダフ屋(だいたい若い男性である)がいるのも、そのダフ屋から2倍もする値段でカードを買ってしまう人がいるのも納得の入手しづらさである。通信ショップには朝から外国人の長蛇の列ができ、そしてやっと並んで入ることができたとしても、一人あたりの購入制限がありパスポートの提示が求められる。さらには、せっかくならんだのに「本日の分は終了」といったことがある。wifiを繋ぐためのカードが在庫かぎりであったり、購入制限がかかる理由に、決して万全ではない通信環境をパンクさせないということもあるが、そもそもこの国が社会主義体制であることが挙げられる。あらゆる企業、資産、土地が国有なのである。通信システムそのものも、民間に払い下げれることもなく、国が保有している。国民、そしてキューバに訪れる外国人がどのようにして、どれだけインターネットにアクセスできるのか、その機会のすべてを国が管理しているということになる。

滞在が2ヶ月と長かったため、頻繁に涼しくて快適なホテルのロビーでネットに繋ぐことは叶わなかった。だんだん顔を覚えられて、宿泊客か疑われてしまう可能性もあったし、次第に服装が現地に馴染んであまり観光客らしくも見えなかったからだ。そうなると、キューバで唯一、wifiを繋ぐことができる公共空間である"公園"に行くことになる。キューバ中のすべての公園にwifiが飛んでいるわけではない。ここ、旧市街の一部のかぎられた公園のみで繋ぐことができる。どの公園で繋ぐことができるのかを判断するのは簡単だ。木に止まる無数の鳥の群れのように、人々がベンチのみならず公園のへりというあらゆる出っ張りに腰掛けて、携帯を見つめていたら、そこが"wifi公園"である。wifi公園は私たちのカーサから5分ほどのところにあった。

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キューバの人にとって、インターネットに繋がるのは日常的なことではないから、比較的中流以上の階層の人々が仕事で使用するか、もしくは夜間かぎられた場所や職業を装って接続する必要がある。(キューバは貧富の差がない国といわれているが、やはりそれなりの生活水準の差は存在する。"装って"と書いたのは、野菜を闇市で買うようにルーターを手に入れる方法もあるらしい。違法ではなくグレーといったところか。) 詳しいシステムについては割愛するが、日中わざわざwifiをつなぎに公園にいく外国人の姿は異様にも思えるのではないだろうか。wifiカードの一枚あたりの値段は、おそらくキューバ人の一日の食費に相当するだろうし、そこまでしてwifiを使ってどんな繋がりを求めているのか、滑稽に見えると思う。キューバではオフラインでのコミュニケーションが、まだまだ大半を締めている。人を呼びたかったら電話をするどころか、通りに出て大声でその人の名を叫ぶ。窓からその人が姿を現すこともあるし、近所の人が「ああ、あいつは今出かけてるよ」「代わりに呼んでこようか?」と手助けしてくれることもある。

とはいえ日本人の私にとって、母国とやりとりするためにwifiは必須であったので、日に2度から3度ほどwifi公園に通った。時差の関係で、真夜中に行くことも。キューバはそこまで治安が悪いわけではないが、女性や子供が少なくなる時間帯では、一人で出歩くのに少し緊張する。日中は仕事が始まる前と後に、公園に寄り道をする。

ある日、いつものように公園でインターネットを使っていると、視界の隅で魚の束を持った男が通り過ぎるのを見た。南国の魚らしく色とりどりで、陽を浴びてきらきらと反射する。そういえばこちらに来てから、魚をほとんど見ていない。肉屋や八百屋はあるが、魚屋はどこにあったのだろう。高級レストランに行けば魚料理もあるのだろうが、キューバ人は肉のほうを好むようだ。『老人と海』でキューバを知った人は不思議に思うかもしれないけれど、旧市街はキューバの中では都会なので、きっと地域柄もある。あと魚がそこまで美味しくないのと輸送の関係もありそうだ。キューバ人のルースは、"見えている海"にいる魚は汚くてとても食べられないといった。釣り人は大勢いるのになぁ。(ルースはたぶん育ちの良い子だと思う)

そんなことを考えているうちに、さっきの魚の男はもう次の通りの角を曲がるところであった。蛋白な印象のその魚を食べてみたいとは思わなかったけど、あの色が忘れられない。それからwifi公園のことを思い出すたびに、目の前で虹色の魚が揺れているような気がする。近くでサッカーボールで遊ぶ少年たちがいる。キューバの子供は、空いているところがあればどこでもサッカーをする。学校帰りの子どもたちがいるということは、もう夕暮れである。ゆっくり陽が沈む日本と違って、キューバの陽はストンと落ちるように暮れる。だから、西の空のグラデーションもなんだかぱっきりしているような気がする。虹色の魚はこの空に染め上げられたのかな。携帯をポケットにしまう。ここではかばんを持たない。子どもたちの間を飛び交うボールを避け、オレンジ色の街灯に照らされながら、私もカーサに帰る。一歩公園を離れると、そこはもう、オフラインの街である。

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