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豊かなせかいで「ゆたか」じゃない人びと

「ゆたかさ」って何かなんて全然考えたこともないけど、「ゆたか」な人生を送りたいという気持ちがあるし、何か書いてたら「ゆたかさ」がなにかわかるかもしれないってことでちょびっと「ゆたかさ」って何か考えてみる。

ゆたかさって何だろう?

まず、「ゆたかさ」ってこころの中にしか存在しないものだと思う。

豊かさを辞書に書いてある通りの意味で使うなら、例えば、アフリカは自然が豊かだし、地球は水が豊かなんて言えるね。

だけど、この「ゆたかさ」っていうのは(ゆたかゆたかってひらがなで書くとなんとも読みづらい)、それぞれがこころの中に生み出すもの。

「ゆたかさ」を人にあげることもできないし、人からもらうこともできない。だから、自分で行動しないと「ゆたかさ」は得られないんじゃない?

どう「ゆたかさ」を手に入れるか?

何に「ゆたかさ」を感じるかなんて、人によって違うんじゃないかな。

だけど、「ゆたかさ」に共通点のようなものはないかな?なんて考えているうちに一つのアイデアを思い付いた。

それは、「ゆたかさ」は「つながり」を持っているっていう事。

「今この瞬間が楽しければ良い。自分が楽しければいいね。」

そんな考えの反対にある「つながり」に、「ゆたかさ」って存在するんじゃないかな。

つながり?

つながりと言っても、いろいろある。

隣にいる人とのつながり、遠くにいる人とのつながり。昨日の自分とのつながり、明日の自分とのつながり。100年前に生きていた人とのつながり、100年後に生まれる人とのつながり。

「ゆたかさ」っていうのは、こういうつながりから生まれるもんじゃないのかな。

だから、「ゆたかさ」って投資にどこか似てるところがある。

消費ではなく投資。

今すぐには役に立たないけど、後々役に立つような。

朝、トーストを焼いて、バターを塗ってかじるんじゃなくて、前の日の夜に卵と牛乳と砂糖を混ぜた液に付け込んでおいた食パンを焼いて、フレンチトーストを作るみたいな。

フレンチトーストを付け込むときには、フレンチトーストを食べてるわけじゃないのにうれしくなる。あったかい気持ちになる。「ゆたか」な気持ちになる。

2人分を作って、僕とあなたとでフレンチトーストを一緒に焼いて食べればもっと「ゆたか」になる。あなたの家族も呼んで、小学校の友達も呼んで、中学校の友達も呼べばもっと「ゆたか」になる。

つながりを持とう

だから、「ゆたかさ」を知るにはつながりを持たないとって話。「ゆたかさ」なんて感情に近いものだから実際に感じないと分からない。

言葉にできるものであるかもわからないし、少なくとも今の僕にとって「ゆたかさ」とイコールで結べるようなものは思いつかない。

だけど、確かに僕の中には「ゆたかさ」を感じられる。

それは、せかいが豊かであるからじゃなくて、誰かとつながっているからだろうと思う。

ただ、SNSの発達によって人間同士のつながりは広がったが、浅く表面的なものとなってきている。

誰かの投稿にいいねを送りあい、会話はスタンプを送りあう。そんな表面的な付き合いが増えた。つながりではなく、付き合い。

そんな数字上、形式上の付き合いではなく、

その人自身を見つめるようなつながりの中に「ゆたかさ」はあるんではないかな。

だから、今日を消費していくのではなくて、今日を投資していきたいな。

この記事を最後まで読んでいただいたあなたにもつながりを感じていただけますように。

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