おなじ光について

「その……、三束さんが考えている光というのは、その、わたしの言っている光と、なんというか、おなじものなんでしょうか」
「もちろん、そうだと思いますよ」と言って三束さんは笑った。
「おなじ光について話していると思いますよ」

 川上未映子の『すべて真夜中の恋人たち』を久しぶりに読み返した、おそらく10年ぶりくらいだった。

 ほとんど内容を憶えていなかった。それは単純に年月のせいもあるだろうけど、読んだ当時はあまりピンとくる話ではなかったからではないか、とも思った。女性の生き方についてであったり、労働についてであったり、社会に出てからの孤独についてなどは、最近やっと知識や実感を得たものばかりで、学生生活を享受しそれ以外の物事をほとんど経験したことのなかった当時の僕にとっては想像しにくい世界だったのではないかと思う(今でもあやしい、数年後にはまた同じような懐疑や感想を抱いているのかもしれない、「あのときは大切なことなんて何ひとつわかってはいなかった」と)。

 それでも砂金みたいに心に残っていたものはあって、「なんかが」を口癖みたいに用いる文体やその他比喩など、僕が無意識に、自分の言葉だと思っていたものの源泉がそこにみられた。こういうものが好きだったんだなと思い、こういうものが好きなんだなと思った。

 恋をしているときの思考回路や手触りへの描写が丁寧だった。少しずれのある会話、がその細部であり、細部に全体への姿勢が宿っている。僕らは補完しあいながら、あるいは誤解しあいながら会話を続ける。それは暴かれる必要のないものであり、言外の、微妙なバランスのうえに僕らの関係は成り立っている。

 次は積んである歌集や『夏物語』を読みたいと思っている。今年はなるべく多くの本を読んでいきたい、ちゃんと読んでいきたい。

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