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映画自評:「ロブスター」は設定コメディ。まずは設定を受け入れよう。

「哀れなるものたち」が大絶賛ヒット上映中の監督   ヨルゴス・ランティモス。「女王陛下のお気に入り」は観ていたし、「聖なる鹿殺し」は上映期間と見に行くタイミングが合わず、観れず仕舞いだった。
ボクの中では気になる監督の一人だったのだ。その監督作品の一つがAmazonプライムで観られると分かったので早速観てみた。
以下ネタバレあり。



不条理な条件設定を設けることで観る人に考えることを余儀なくさせる映画。
なぜ?
なぜ?
なぜ?
とクエスチョンマークが頭の中を駆け巡る。
この時点で監督の意図に嵌められたも同然だ。そもそも現実のこの世も不条理だらけのことばかりで、もし「考えない人」がいるならば、その人の方がオカシイだろう。
監督はまずその大前提から我々に疑問を呈しているように感じる。
考えろ!と。
そして、我々が当然と思って受け入れてしまっている家族制度や、「愛」についてさえも再考しろ、と言っているようにボクは感じた。
あっちの世界から、こっちの世界にいったとて、正解はあったのか?
逃げ込んだこっちの世界が必ずしも全部が「正解」であったのか…?

主人公の人格についても考えてみよう。
彼は善人であったのか?
犬を愛する様子から善人のように見えたが、それは何かしらの背景があったからこそではなかったのか。
彼の愛は平等であったか?
彼に向けられた愛に対して彼はどのような態度を取ったのか、その後の態度はどのようなものであったのか。それは冷酷ではなかったのか。
彼はマッチングする愛に対して、反応したが、彼が関心のない愛に対しては寛容ではなかったではないか。
彼は自死をした女性に対し冷酷であったし、犬の死や、愛する女性が目を奪われたことにに対しても「酷く」感情を表に出さなかった。(彼の性格の表し方かもしれないが、それにしても…)

最終的に自己犠牲という手段を取ることで清算をしたこと(ボクはそう思う)が、「街」での今後の暮らしの「自己欺瞞」を見ないという「手形」を取ったことになるのかもしれないが、もちろん代償は高い。なぜ彼らだけに…。

この映画は、コメディである。しかし、その笑いの質はシニカルなものだ。
初めの問い「アナタは何の動物になりますか?」についてもシニカルだ。
そんな設定があるか?
映画の初めから異次元に放り込まれる。
と、同時に考えこまされる。

ボクなら…。

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