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イクラはいつかこぼれるものだから

夫が宝塚観劇に出掛ける夏の夜、別に家で作っても良かったが、子に何が食べたいか問うと「エビフライ」「イクラ」などと口々に言うので、献立ブラックホールが脳内に浮かび、ではどちらも食べられそうな近所の回転寿司に行ってみようということになった。

そこは長らく100円均一で通していたチェーン店で、出産前にひとりでふらりと入ったところ、タコが嚙み切れないほど固くて、シャリが口腔から消え失せてなおしばらくその生臭いガムをもぐもぐした挙句、あきらめてペーパーナプキンにそっと出して以来、(安かろう悪かろうだな)とそのお店の看板を見ると回れ右してしまっていた。久しぶりの来店だったので恐る恐るだったが、店内は明るく、夕食の時間にしては少し早めなのに数組が待つほどの盛況ぶりだった。

 涼しい店内で待つこと15分、テーブル席に通されて、私が手前側、子が反対側に座した。
子に何が食べたいか問うと「イクラ!」「エビ!」と言うので、そうかそうかと注文する。エビは2貫で100円(税抜)だったが、イクラが1貫170円(税抜)になっていたので、安心した。
イクラを、「人造でもいいから2貫100円で提供してくれ」なんて全く思わない。多少高くなってもいいから本物のイクラを出してもらえて、それを美味しく味わえたら満足である。

子はそのイクラを無心で食べている。まだいとけなく、1貫を1口2口で食べることなどできないから少しずつイクラを上から食んでいる。両手に持ったイクラの軍艦巻きに夢中になるあまり、頭のてっぺんまで机の下に隠れてしまうほどである。
口元が見えるたびにイクラがまだ軍艦の上に乗っているのを確認し、ふと考える。なにかのはずみで軍艦全体がぐらりと傾き、そのまま上に乗っていたイクラがバランスを崩して全て床に落ちてしまったら、私はどうするだろう。「ほら気を付けて!」と怒るだろうか、「あーあ、いくらがもったいない!」となじるだろうか。

そんな時、尊敬する義理の父の言葉を思い出す。手先が極めて器用な義理の父は、夫とその兄弟、つまり我が子らのために木工細工でおもちゃを手作りしていたそうだ。夫らは遊んでいる内にそれらを壊してしまうことがあったようだが、義理の父は「形あるものはいつか壊れるものだから」、と決して夫らを怒らなかったという。

なんという寛容。時間を費やし丹精込めて作ったものを速攻壊されて鬼の形相で迫らぬお人がこの世にいるとは、目から鱗だった。

「形あるものはいつか壊れる」、本当にそうだ。「人間はいつか死ぬ」と同じぐらい自明に「イクラはいつかこぼれる」。だから仮に子が1貫170円というこの店では高級の部類の寿司ネタをこぼしたところで「あらあら(笑)」と鷹揚に構えていようではないか。

鷹揚に構えていたい理由として、小さい子が水難事故に巻き込まれるきっかけについて最近知ったことも大きかった。
なんでも、履いていたサンダルをなにかの拍子で海や川に流されたとき、「サンダル失くしたらパパやママに怒られる!」と咄嗟に追いかけてしまい、深みにはまって溺れて最悪絶命するといった悲しいケースがあるという。
楽しいレジャーに来たはずなので、そんな悲劇に見舞われることは絶対に避けたい。なので、現状海にも川にも行く予定はないが、子に辛抱強く言って聞かせる日々が始まったのである。

「お二人がね、海や川にいったときサンダルが流されたとしますでしょう」
「うん」
「そんなとき絶対に追いかけてはいけませんよ」
「どうして?」
「深みにはまってすぐにおぼれてしまうから。だからサンダルさんが流されたときは『今までありがとう、バイバイね』と手を振って見送るのがよろしいですよ」
「はだしでかえるの?」
「そう。裸足は気持ちいいでしょう。それから近くのお店ですぐに新しいサンダルを買って差し上げますよ」
「ふるいサンダルにはバイバイするの?」
「そう、必ずやそうしてください。もしお二人がその大切なお命と引き換えにサンダルを拾えたとしても、お二人がこの世にいらっしゃらなかったら履く人がいないのだから、全く意味ないでしょう」

なんてことを話した日から、
「サンダルがながされたらけっしてとりにいこうとしてはいけないの」
「まさにそうですよ、ご存じの通り…」
と繰り返し繰り返し上記の話をすることになったのだ。
今や子も納得してくれたらしく、この話が出る機会はぐっと減ったが、この話は自戒となっている。つまり子供の失敗を厳しく断罪したら、大事な局面でとっさに天秤の掛け違いが起きてしまうかもしれないということ。命の重さとサンダルの軽さ、水辺の心地よさと恐ろしさ…

日常のほとんどのことなんて些末なことなのだ。怒鳴って脅かして子供を抑圧してまで言って聞かせることなんて、多分そんなにない。そして親が子に伝えられることなんてせいぜい、「あなたは兄弟平等に世界一大切で、唯一無二で、かけがえのない存在」ってことなのだと思う。

そんなことを考えながら、ニコニコと子を見ていたら、いつの間にか自分の箸も進んでおり、目の前には皿の山が積まれていた。
さすが群雄割拠の回転寿司業界、かつてのクチャクチャダコなんて一掃されていて、どのネタも大変美味しかった。親子ともども満足してそろそろ帰りましょうか、とふと足元をのぞいたら、子の足元に散らばる大量のイクラの粒!こちらから見えていなかっただけで、実は結構落ちていたらしい。

「イクラ、今度はテーブルの上に顔を突き出して召しあがった方がよろしいかもね」
と無理に作った笑顔で言うと、こちらの気持ちを知ってか知らずか、ニコリとして子は頷いた。泣く泣く腰骨を詰まらせながらもテーブルの下に潜り込み、一枚のペーパーナプキンを駆使してかわいそうなイクラ達を集めおしぼりの袋に押し込む。多くのイクラはそのままの形で回収できたけれど、いくつかはプチッという触感と共に潰れてしまった。

形あるものはいつか壊れる。だからこそ、今この瞬間で何が一番大切なのかを見極める。
寿司店を出た蒸し暑い帰りの夜道、「おなかいっぱーい!」「おいしかったね」「またこようね」「こんどはトトも一緒にね」「あっ月だ!」「おつきさまきれいだねぇ」、と優しい言葉とほほ笑みを交わしながら子と手をつなぐ。
たまたま今ここで縁あって時間と空間を同じにしている愛すべき人と言葉を交わし、触れ合うこと。多分こういうことが、何を置いても第一なのだと思う。


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