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揺れる林檎の風鈴と
数年前亡くなった祖母の部屋には、冷房がありませんでした。(熱中症が死因ではありませんが……。)
林檎のように丸くて真っ赤な風鈴と、
小さな古い送風機。ほのかにひんやりした畳。
同居していた祖母の部屋から数歩歩けば冷房の効いたリビングなのに、私はずっと祖母の部屋にいました。
パズルや積み木をしたり、かるたをしたり。
ひらがなもカタカナも足し算も引き算も、
小さな机に向き合い、練習に付き合ってくれたのは祖母でした。
1年中祖母は私や私の姉妹と遊んでくれていたのに、特に覚えているのはやはり夏の出来事。
理由は無いです、本当になんでだろう……?(笑)
とにかく、前述の林檎の風鈴の音とともに、祖母との思い出は私の頭にずっと残っているものです。
おばあちゃんと幼稚園児には一つが大きすぎるアイスを2人で(たまに姉と3人で)はんぶんこしたり。
それでも溶けてしまい「早く食べちゃいなさい」と食べさせてもらったり。
祖母が買ってくれた大人っぽくて可愛いサンダルを履いて、近所を散歩したり。
(このサンダルは小3で買ってもらったものですが、足のサイズが変わらないので去年壊れるまで履いていました。なんとか直せないかな……。)
私が国語を好きになったのも、毎日祖母に絵本の音読を聞いてもらっていたからなのかもしれません。
私がお気に入りの一冊の音読を、1日に何回も聞いてくれて、ずっと褒めてくれていました。
父とプールに行ったり、ボールあそびをしたり。
母と一緒にかき氷を作ったり、ポップコーンを作って家で映画を観たり。
そんな思い出もありますし、もちろん大切ですが、
大好きな祖母と過ごした日々は私の大事な大事な思い出になっています。
亡くなってしまった時は言葉になんか出来ないほど悲しかったし、物で溢れかえっているはずなのに
祖母の部屋はなんだか空っぽに見えました。
コロナで面会すら出来ず、最後に見た祖母は何ヶ月も「風邪気味だ」「病院は好きじゃないから」と寝込んでいる姿でした。
その夏は1度も遊べませんでした。
あれから4年とちょっと。
文字にすれば少しの間なのに。
私は中学生になり、高校生になっています。
祖母がたくさん教えてくれたことの何倍も何倍も
難しい勉強を頑張っています。
ばあちゃん助けて、中間テストはもうすぐなのに
物理がさっぱり分からない……(笑)
初めてのバドミントンは祖母との打ち合いでした。
今はお世話になったチームでコーチをしています。
祖母もどこかでコーチしてたって言ってたので、これは血なのかもしれません。
何かある度に「ずっと見れるように絵にして!」と言ってくれたおかげで好きになったお絵描き。
長期休みのしおりの絵は、みんなに可愛いね、と
いっぱいいっぱい言ってもらいました。
そして、将来の夢も見つけました。
私は国語の教員になりたい、色んな人の話を聞いて辛い事はいっぱいだって知ってるけれど、たくさん頑張るよ。
小さい頃の夢は『スーパーアイドル』だったので、もしかしたらその時の印象が強すぎるかも?(笑)
私は私なりにゆっくりしっかり頑張ります。
今年の夏ももうすぐ、毎日暑すぎるし今すぐに夏判定で一緒に遊んでくれてもいいよ。(笑)
きっと私の中で祖母の欠片くらいは生きていると思うので、これから先の夏もずっと、祖母とたくさん思い出作ります。
1年中飾りっぱなしの風鈴が、
今日もゆらゆらと揺れて音を奏でてるね。
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