神経発達症(発達障害)息子の母になる⑨
○環境の変化②○
幼稚園の未満児教室が週1で始まりました。
センターの療育も週2で始まり、
息子にとっての初めてが重なりました。
センター療育は、息子にとっての
楽しい!
⚫︎走り回る
⚫︎トランポリン
⚫︎ブランコ
⚫︎おもちゃでの遊び(黒ひげ危機一髪やボールがコースを巡ってコロンと落ちるもの)
⚫︎春〜秋限定のプール遊び
と、
⚫︎言葉でのやりとり(カードを見て何か答える)
⚫︎指先を使う訓練(かき氷の氷を手動で回す、エジソン箸でものをつかむ)
で、先生方も接し方をわかっていて
絶対に無理強いしないので
とても楽しそうでした。
当時、棺ダンスにハマっていた息子は
センターにあるピアノにも興味津々で
わたしに
「棺ダンス弾く!」
と、クレーン+言葉でピアノを弾くことを要求してきたりしました。
センターでは新しい言葉がポンポン出ました。
「興味があることには言葉が出るね」と
担当の先生が言いながら、
息子のカルテのようなものにメモをとっていました。
息子は興味のあるものや、
好きなことに執着する節はありました。
なので、なるほどなと思いました。
(正直…楽しい経験がなければ言葉が出ないなんて親が疲れそうだなぁ…とも思いました。)
未満児教室では
仲の良い友人や、
歳の近いお母さんたちの5人と
その子供5人の班になり
まったり時間が流れるかと思いきや
全くそうではありませんでした。
まず、わたしは他の子供たちの言葉の成長に驚き
言葉を失い
要求が通らないことに怒り
毎度毎度ギャーギャー泣き叫び
体育教室なんかは走り回るだけで
こちらの指導は勿論フルシカトの息子に愕然としました。
おやつの時間なんかは
おやつが足りないと泣き喚き
1人だけ赤ちゃんのイヤイヤ期のようでした。
後に、この5人の班の中にいる
元々友人であったNの長女が息子と同じ
ASD,ADHDであることが判明するのですが
特性により友人関係がうまく築けなくなり
いじめを受けて不登校になり
小児精神科に通うことになるのですが
そこで知ったのがADHDの人の精神年齢が実年齢の3分の2だということです。
Nからこの話を聞いた時は
なるほど!そうだったのか。と、すごく腑に落ちました。
(このNはわたしにとって
かけがえのない大切な友人になりますので後述いたします)
当時、
そこまで調べるに至っていなったわたしは
なんでこうなの?と悲しい気持ちでいっぱいでした。
回を重ねても、
運動会で親である私たちがいる時でも
息子は先生の指示はフルシカトで
1人だけ(後を面白そうに、
ついて回ってる子もいましたが明らかに息子より小さい)逃げて回っていました。
わたしの精神はもう限界で、
未満児クラス担当の副園長に
「すいませんが、もう辞めたいです」と
未満時クラスが終わった後、お話ししにいきました。
普通は理由を聞かれて、
それなら仕方ないねと理解していただき終話すると思っていました。
しかし副園長は違いました。
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