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自分が好きというよりも、「理想的な」自分のことが好きなのかもしれない。

誰の中にもきっと、自分のことを大事に思う気持ち、自分を肯定する気持ちというのがあるはず。
でも他方では、自分を否定したくなってしまうのもよくあること。

もしかしたらそれは、本当に好きなのは「自分」ではなくて、正確には「理想の自分」だからなんじゃないかと思ったりします。


予想していたように上手く事が進まなかった時。
鏡に写った自分が思うような姿じゃなかった時。
頭に浮かんだことを上手く言葉にして伝えられなかった時。
理想の自分と他人から見えている自分にギャップがあることを知った時。
そういう時、私は少なからずショックを受けます。


そしてそんな時には決まって、「こんなはずじゃないのにな」と思ってしまいます。

頭の中で勝手に思い描いている自分の姿を本物だと思い込んで、「本当の自分は、もっと違うはずなのに。どうして。」なんて考えて、凹んでしまう。

そして最終的にはこう思うんですよね。
「自分が想像しているような自分を見せてくれないなら、今ここにいる自分なんて嫌いだ」って。



独断でお話をしますが、誰にでも多少は、鏡の前に立った時に良さげに見える角度を探してみたり、街を一人で歩いてる時にちょっとかっこつけてみたり、素敵な音楽を聴いている自分に酔ってみたり、大勢の人に称賛される自分の姿を妄想してみたりしたことがあるんじゃないでしょうか。(これらを全くしたことがない人がいたらごめんなさい)


そして、そういうのって結局全部、できるだけ自分の理想に近づくための背伸びと私は思うんですよね。

心惹かれる、理想的なあり方に近づくため。
そしてひいては自分を好きでいるために、私たちは気付かない内に今の自分を乗り越える努力をしてるんじゃないかと思います。

これが、私たち人間が石ころとは違うところですよね。石ころは、自分が石ころであることを否定することはできません(多分)が、人間にはそれができる。
私たちは今の自分を「違う」と否定して、理想のあり方に向かって変わっていくことができるんです。もちろんそれには、責任が伴いますが。


自尊心を満たすために、私たちはずっともがいてる。
理想の自分を探し求めて、自分がそれに添えるようにと願って、努力して、時に迷って、苦しむ。

そういうのって、冷静になってみると泥臭いなぁとか必死だなぁって思うけど、私たち人間が怠けずに生きていくには大切なことなのかもしれません。


ゲーテの代表作『ファウスト』の中に、「人間は精を出している限りは迷うものなのだ」という名言があります。これは、神様が悪魔に言った台詞です。

もしあなたが何かを迷っているなら、それはあなたが頑張っている証拠です。上を見ている証拠です。

自分にとっての理想を思い描きながら、人間らしく地道に努力していきたいですね。


読んでくださり、ありがとうございました。😌







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