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ショーペンハウアー『読書について』について


今日はこちらの本を紹介したいと思います。

へのへのもへじみたいな表紙


『読書について』の話


一言で言えば、読書好きが、ニヤニヤヒヤヒヤしながら読む本です。

光文社古典新訳文庫のこの本には「自分の頭で考える」「著述と文体について」「読書について」の三篇が収録されており、いずれもドイツの哲学者アルトゥール・ショーペンハウアーの『余録と補遺』から訳出されている。

特に二篇目の「著述と文体について」が分量的にも一番多く、本全体の半分以上を占めている上に際立って始終毒舌…積もり積もった怒りの感情むき出しで、文体こそ平然を装いつつ、暴言としか言いようのない言葉の数々で気に食わない文壇の”ぼんくら三文文士”たちをこれでもかと攻撃しています。

読んでて何が面白いかって、まず現代を生きる我々にとって、この本が書かれた1851年のヨーロッパ圏の文壇状況や文法の流行りなんてものはまったく縁のないものでしょう。少なくとも実体験としてはね。なのでショーペンハウアーが怒り狂っている当の問題に関して、何も思い入れがないどころか、約170年のジェネレーションギャップのおかげで説明されても分からないことが多いのですよ。そのよく分からない事柄に対して、会ったこともない生粋のドイツ人哲学者が悪口雑言喚き散らかしているさまを眺めるのは、何というか…壮観です。言いたいことは分かるんだが、何を言っているかは分からないというありさま。にやけてきます。

以上のような理由で「著述と文体について」はかなりクセスゴですが、残りの二篇「自分の頭で考える」「読書について」は現代にも通じる読書のあるべき姿や心構え、避けるべき行動や考え方などが淡々と述べられていて、特に普段から読書を多くする人にとっては自分事としてヒヤヒヤしながら読むことになるはずです。
そのうち私が特にヒヤっとした文をいくつか抜粋します。

どんなにたくさんあっても整理されていない蔵書より、程よい冊数で、きちんと整理されている蔵書の方が、ずっと役に立つ。同じことが知識についてもいえる。

読書は自分で考えることの代わりにしかならない。自分の思索の手綱を他人にゆだねることだ。おまけに多くの書物は、いかに多くの誤った道があり、道に迷うと、いかにひどい目に合うか教えてくれるだけだ。

本を読むとは、自分の頭ではなく、他人の頭で考えることだ。

この切り抜きだけではでは「だから読書はよくない」的な結論に至ってしまいそうですが、そうではありません。「だから頭使って読め」と言っているのです。ダラダラ読んで他人の考えを頭の右から左へ流すような読書ではダメだと。気を付けます。

「本を読むとは、自分の頭ではなく、他人の頭で考えることだ。」というのはよく引用されているのを見かけますね。
ただ”本を読め”と読書を勧める本とは違い、恐らく人一倍読書をしてきたであろう筆者の渾身の警告がこの本にはたくさん詰まっています。


最後に

日頃の読書の在り方を改めて考え直す、良い機会を持つことができた。
中々痛快でクセの強い本ですが普通に読書としても楽しめます。有名な本なので大概の本屋には置いてあるはずです。是非探してみてください。


以上です。読んでくださった方ありがとうございます。

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