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私の不登校時代-2

今日は不登校だったからこその苦悩をお話しようと思います。

私は"不登校"であったことを隠していません。
人と話すとき、学生の頃の話が出るのは当然です。特に中学高校時代の話はよく話題になるトピックです。
無理に隠して話についていけずに困るより、不登校であったことを話して無理をしないというスタンスです。

不登校を経験したことを恥じてはいませんが、大変だったことはたくさんあります。

1番大変だったのは勉強です。

私は中学受験をしたので、小学生の頃から塾に通っていました。そのため小学生時代勉強に困ることはありませんでした。また、勉強をすることが好きなタイプだったので成績もよく、俗に言う『優等生』でした。中学校も第1志望の学校に合格することができ、進学校に通っていました。



私が学校に行けなくなったのは中学1年生の夏。
学校を休み始めた当時、何もする気力がなくひたすら寝る毎日を過ごしていたので約10ヶ月勉強から離れていました。
少し気力を取り戻し始めた頃から、自分で勉強を始めましたがみんなが学校で学ぶようには勉強することができません。

私は中学2年生の途中で数ヶ月学校に復学しました。
なぜ復学できたのかは謎ですが、急に学校に行き始めました。今までの勉強の蓄えも何もありません。もちろん授業を聞いてもさっぱり。しかし、中間考査や期末考査はやってきます。
完璧主義で誰よりも負けず嫌いだった私は自分が悪い点数を取ることがものすごくいやで、必死に勉強をしました。
試験2週間前から毎日深夜まで勉強しましたが、英語や数学などの蓄えが必要な教科はそんな簡単に習得出来るものではありません。
試験後自分の点数を見て大変落ち込みました。
先生方からは『十分だよ』と声をかけてもらいましたが、完璧主義の私は納得できません。
この時初めて、不登校になった自分を恨みました。

そしてまた学校を休み始めます。
私の中学校では3年生の秋に1週間カナダへの修学旅行があるのですが、その修学旅行に行ったことを機にまた復学しました。

カナダ

そしてまた勉強の蓄えがない壁にぶつかります。
私の学校は主要教科だけでも10教科。プラス副教科もあり、全ての勉強をしようと思うと14教科。
寝ずに勉強をした日もあります。それでも休んでいた時間の勉強をカバーできないことが凄く悔しかったです。
その苦悩を抱えたまま中学校卒業を迎えました。

中学修了式

高校からは留年という壁もありました。
勉強に対しての不安が消えないまま迎えた高校生活。
『これから学習することは誰よりも習得しよう』
『蓄えがないなら時間で勝負しよう』
そう心に誓いました。宣言通り全ての授業で寝ることなく学び、予習復習はもちろん+αでの学習も怠りませんでした。そのおかげか成績も納得出来るまでになり、安定しました。

通信制高校

通信制高校は、全日制と授業や勉強の方法が異なります。今まで進学校に通っていた私からすると、教科も減り勉強の難易度もとても下がったので勉強に対する苦悩はなくなりました。

再び勉強の苦悩が現れたのが予備校に通い始めてからです。予備校時代が1番悩みました。
家庭環境もあり幼い頃から医師になることが夢で私は高校卒業後、医学部専門予備校に通う決断をしました。
私は不登校だったし、勉強の蓄えもなにもない。
だから1番初歩から始めよう。そして誰よりも勉強しようと心に決めて入校しました。

心に決めた通り、朝7:30から予備校で勉強を始め夜10:00まで毎日休むことなく1年間誰よりも勉強をしました。しかし、一緒に勉強していた仲間たちは私が不登校だったことや私に何があったのかもちろん何も知りません。
『高校時代勉強してなかった人』
と思われていたと思います。良い成績が取れない自分が悔しく、遊んでいる人が私よりも良い成績をとっていることが事実でした。

努力のおかげで成績は1年でぐんと伸びました。
浪人2年目は、全ての教科で1番上のクラスからスタート。10何浪の先輩たちと一緒に勉強する日々。
自分の蓄えの無さを思い知らされました。
何よりも悔しかったのが、誰よりも勉強しているのに1位にはなれないということ。努力にも限界があると知りました。
『もし学校に行っていたら』
こう思ってしまう自分がとても嫌でした。
でも変えられない事実。もし中学1年生の自分に戻れるのなら、『学校に行って勉強しなさい』と伝えると毎日思っていました。

予備校時代1番勉強に対して悩みましたが、2年間必死に毎日勉強したおかげで中高6年間の学ぶべきことは学習出来ました。予備校に通っていた当時はものすごく苦しかったですが、今となっては2年間しっかり勉強する機会があって良かったと思っています。予備校に通ったおかげで、『私は中高6年間の勉強を知らない』という劣等感はなくなりました。

予備校の自習室

学校に行ってなかった代償は日常生活にも現れます。
私は"ゆでたまごをレンジに入れてはいけない"ということを知りませんでした。周りの人に聞くと常識だよ?と言われたのですが、学校に行かずにお家でたくさんの時間を過ごしたので当たり前の『常識』が私には分かりません。
具体例は忘れてしまいましたが、こういう出来事がちょこちょこあり今でも『ん?どういうこと?』と話についていけないこともあります。

学校に行く行かないは自由です。
でもその代償は必ずあります。それをどう受け止めるかが大事なのだと思います。
嫌だったら逃げれば良いし、闘いたかったら正面から向かっていけば良い。
『学校に行けない』ということ以外にも不登校には苦悩があるということをもっと知ってもらいたいです。

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