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日越バイリンガルを育てようと思って考えてること-プロローグ

*Twitterでnoteのテーマでアンケートをとったら僅差でこのテーマとなりました。投票ありがとうございました。このテーマで書くことはほぼほぼ自分の体験、親戚について見聞きしたもの、そして「バイリンガルの教育法」という本を参考にしています。

(0)この記事で言いたいこと 

 バイリンガルのこと、もっと知って欲しいんです。
 (1)バイリンガルって色々あるよ。ゴールは一つじゃない。
 (2)知られてないこと、勘違いされてることたくさんある。
 (3)バイリンガルだからこそ、裏も表も知った上で育てようと思ってるよ。

(1)バイリンガルの分類

 私は日本語とベトナム語のバイリンガルです。(英語もちょっとできます←自慢) 
 でも細かく分ければ「バイリテラル」/「バイカルチュラル」/「日本語ドミナント」のベトナム語バイリンガルです。そう、バイリンガルには分類がめちゃあります。上に書いた以外にも色々あるのですが、今回は3つ紹介します。

 ①言語能力&技能:4技能(聞く・読む&話す・書く)の度合いで分類
 →バイリテラルは4技能全てできることを指します。
 (他には聞いて分かる「聴解型」、聞く&話すができる「会話型」)
 ②文化受容:言語だけでなく文化背景や思考、感覚があるかどうか
 →バイカルチュラルは両言語の文化を感覚として持っている事を指します。片方のみの場合はモノカルチュラル。多文化に接し、どこにも属さない場合はデカルチュラル。
    ③熟達度&バランス:両言語の能力バランスで分類
 →ドミナントはどちらかに偏重がある。バランスバイリンガルは両方同等に高い、セミバイリンガル(ダブルリミテッドとも)は両方同等に自由に扱えない状態。

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 なぜこんなにもあるのか?といえばそれぞれ育った環境が違って、本人の感覚や肯定感も違うからです。そしてもし「バイリンガルを育てたい!」となれば目指す分類によって教育方法や用意する環境も異なってきます。この記事を参考にされる方は是非目指すゴールは自分とパートナーの言語能力や育てる環境と経済力を考慮する必要があることを念頭において読んでいただければ嬉しいです。

(2)バイリンガルへの誤解・疑問

①第二言語の勉強は母語に悪影響?
 「2言語バランス説」というのが昔ありました。要は日本語で勉強したことと英語で勉強したことは別々の記憶になるので、片方の言語を伸ばせば、もう片方は遅れる、という考え方です。
 しかし現在は「2言語共有説」という考え方が一般的です。下の図がわかりやすいですが、頭の中ではイメージ、映像、ストーリーや概念が記憶されていて、言葉としての入口、出口が違うだけ。

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 母語を蔑ろにしていい、と解釈してはいけませんが、少なくとも言語が追加で加わる事で悪影響があるわけではありません。

②バイリンガルになるためには子どもの頃に外国語教育が不可欠?
 いわゆる「臨界期」(バイリンガルになる為の教育限界年齢)が存在するのか?という疑問です。言語形成期と言われる4〜9歳くらいまでにバイリンガル教育をするべき、という言説とも共通する話です。
 確かに言語形成期は言語習得が早く、その時期にバイリンガルとして成長していく子どもを目にする事が多い為、そう思う人が多いのは事実です。実際私も7歳でベトナムに渡り、およそ半年くらいである程度のコミュニケーションが取れるようになりました。
 しかし「言語形成期にバイリンガル教育しなければならない」というのは間違っています。この時期は覚えるのも早いのですが同様に忘れるのも早い時期です。2つ下の妹は同時期に私と同じタイミングでベトナムにきましたが、日本語能力はかなり低下しました。ベトナムで生まれた弟は6歳で日本に来た結果、それまで話していたベトナム語が2年ほどで完全に消失しました。言語は使用しなくなれば、発音、リスニング能力は残りますが、言葉そのものは忘れていきます。早期教育をすればいい、というものでもありません。逆に30歳になってからベトナムに渡った私の母は習得にかなりの年数をかけましたが、日本に帰国して10年以上経った今でも言語能力を維持しています。もちろん発音には癖がありますが。

③バイリンガルだから現地の文化や考え方も分かるでしょ?
 言語と文化には深い関わりがありますが、言語を習得する=考え方や文化が分かる、というものではありません。言語習得とコミュニケーションをとることは別問題です。新入社員が仕事のやり方を一から覚えるように、言葉はあくまでも入り口。考え方や習慣は体感してはじめて分かります。
 そんなこと当たり前、と思われると思いますが、なぜか子育てになるとそれを無視する方が多いと肌感覚で感じます。バイリンガルで活躍する子を育てよう、と思ったら、それを含めかなり長期的な視点に立つ必要があります。モノリンガルと同じ時間感覚でいると親子のすれ違いが互いを不幸にしてしまいます。(体験談)

(3)自分がバイリンガルだからこそ

 バイリンガルは「諸刃の剣」です。
 大きな武器になるからこそ、それによって苦しむ事も多く、ただバイリンガルに育てれば良いとは全く思いません。特別な自分を感じる喜びもあれば、どこにも属せず分かってもらえない孤独感を感じることもあります。つまり世の中で唯一無二の存在として重宝される可能性と、価値を見いだされずただの変わり者として関心を集められず過ごす可能性、その両方あるわけです。
 私は幸い「ベトナム語」という、現在経済的価値が上昇中で、それにあやかることができる言葉のバイリンガルですが、もし何かの運命で違う言語だったら…と思うと自分の息子に果たして「ベトナム語」を強制するべきなのか?と迷い始める気持ちを分かって頂けると思います。

 プロローグにしてだいぶ長くなってしまいましたが、様々なことを考慮した上で私は「息子を日越バイリンガルにしよう」と考えています。あくまで今私が置かれている状況下での話です。息子の特性、性格次第では方向転換する可能性も大いにあります。でも現段階で考えていることをこうやって文章に残しておく事で、私と同じような状況の親御さん、バイリンガルを育てようと考えている方の参考になり、あわよくば将来自分の子どもが「父親が必死に考えていたこと」を読んで、その思いを感じ取ってくれればと期待しています。

(4)予告

 次回以降はこんな流れで書いていこうと思います。
 第一章:ゴールの定義
 第二章:日本語とベトナム語の立ち位置
 第三章:両国の教育環境と現状の生活
 第四章:やるべきこととロードマップ
 *書いているうちに加筆、分割、追加の可能性は十分にあります。


ここまで読んでくださりありがとうございました。
最後まで書き切りたいので、応援、共有、サポート、感想等宜しくお願い致します。

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