ほんのひび 3

 たまに、寄る辺ない宇宙をさまよっているような感覚に陥ることがある。

 原稿を読む。校正紙に眼を通す。
 誤りを正す。疑問点を書き出す。
 予断を挟まず、すべてを疑ってかかる。

 たとえ、ある分野における第一人者が著者であっても、監修をしていても、活字になった言葉の連なりの全部が正しいとは限らない。シンプルな誤植もあれば、ちょっとした勘違いや記憶違いから、用語の使い方を誤ることもある。あちらでは別の表記を使っていたけれど実は同じ意味を表すタームだったり、よくよく読み比べてみたら記述内容が矛盾していたり。
 そうした部分を一つひとつピックアップして、検証する。自分で判断がつかなければ、問いかけを記す。懸案事項の多さに、記憶の容量はあっという間に不足してしまうから、未解決の部分は別途、テキストや表にして必ずまとめておく。そして、著者や監修者の返答を受けて、修正の赤字を施す(もちろん、そのままでOKな場合もある)。

 本屋の事業を始めるずっと前から、書籍編集の仕事をしてきた。数万部のベストセラーや立て続けの重版が生まれるような花形の世界とは異なる、資格試験の問題集や、福祉の分野のテキストを主として。日の目を浴びることは少ないけれど、世の中には絶対に必要とされる本。
 その分野では、とりわけ、解答や事実関係についての間違いが許されない。誤りは、誰かの「不合格」「致命的なミス」に直結してしまうおそれがある。だからこそファクトチェックや校正に、よりいっそうの慎重さをもって臨むようになった部分はあるかもしれない。
 今日も、原稿や校正紙の荒波の中にダイブする。飛び込んだつもりが、実は放り込まれていて、何がなんだか分からなくなりながらも、疑問点に一個ずつ向き合い、クリアしていく。時には、先の見えない果てしない作業に、眩暈を起こしそうになる。そして、眼下に広げた校正紙が、大海原以上に、端と際の存在しない広大な宇宙空間のように思えてくるところで冒頭に戻る。

 原稿が届く。校正紙が出る。
 メールで届いた文書を、PDFをダウンロードして、開くまでの間に、半端ではない緊張感が走る。
 今日も果たして、これを読めるのか。単純な誤植すら見つけることができず、泳いだ目のままで読み過ごしてしまわないか。
 恐怖心は躊躇を生み、できんのかやれんのかどうなんだって自問自答して、左胸の奥を落ち着かせてから、思い切って「開く」をクリックする。とにかく読み始めるしかないじゃんって、半分の諦めと半分の覚悟をありったけ投入する。
 それも実際には、わずか数秒の時間でしかなくて。
 開いた瞬間から、戦いは始まる。うつろな気持ちを抱えながら、原稿の、校正紙の全体像をざっと捉える。それだけで、原稿だったらあからさまな誤植に、校正紙だったらレイアウトの不統一にすぐ気づいたりする。不安が押し寄せ、いやそれでもと、眼を通し始める。

 十何年、こういう仕事をやってきても、眼の前で逃げ出したくなる気持ち、投げ出したくなる気持ちは、ずっと変わらない。
 でも、この生業をやめる日が来ないことも分かっている。基本は楽天家で、どんなに苦しい時間を過ごしても、喉元を過ぎれば全部忘れて、また新しい日常が次の瞬間に始まるから。そしてまた原稿と向き合ったときに思い出す。「これだこれ。この感覚」って。
 すぐには素読みを始めない。原稿だったら、目次と章タイトルを見比べるところから。校正紙だったら、ノンブルと柱を通し読みするところから。この時点で複数の誤りに気づく。最初から完璧な目次や柱は、ほぼ存在しない。ここで誤植に気づけたことが、ささやかな自信の回復につながり、よし、中身を読み進めようという勇気につながる。
 だから今日も、そうやって、どこからか届いた原稿や校正紙を、きっと読んでいる。当たり前に続いていく日々の一部として。


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