ほんのひび 2

 出版物があるわけでもないのに、本屋が本屋に書店営業してるって、どういうことなんだろう。

 そういう矛盾をひしひしと感じながら、バスか電車を降りたらいつもどおり、交通費の節約も兼ねてひたすら歩く。どんなふうに近場の書店を回るかは事前に考えていて、でも、お店の近くまで来ているはずなのに迷うことは少なくない。電柱の住所表示、道端の掲示板、ビルのプレートを確かめながら、目的地を探す。
 こういうとき、「普通は」スマートフォンを使って、その場で経路を確かめられるんだろうけど、もう十数年、同じ携帯電話(2号機)を使っているので、外出先では基本的にネットに接続できない。日常生活を送るうえで、それで困ることも大してないから、2号機の命が保たれる限りは、今の状況を続けたいと思っている。

 そんなことはさておき。
 「本屋の本を売る本屋」は、出張販売しかしていない。本屋の中に、その日限りのブースを設けて販売させてもらう、という体裁を選んでいる。その交渉と事業の認知度を上げるため、本屋に足を運ぶ、つまり書店営業する。
 固定したリアルのお店もなければ、オンラインショップも存在しない。本を手に取る人との間で、送料や手数料が発生する売り方をしたくないからという理由がありつつ、梱包するときに本を傷つけてしまわないか、綺麗に袋詰めできるか、繊細な作業に対するプレッシャーがはちゃめちゃに大きくて、そこには手を伸ばさないようにしている。小学生のときから、図画工作の授業でさえ、まともに作品を形にできたためしがないから。不器用とは異なる、潜在的な恐怖心。
 本を仕入れ始めたばかりの頃、届いた実物を1冊1冊検品して、落丁や乱丁がないか確かめるときに、恐る恐る本を開いていた。折り曲げたり、汚したりしないように。そんな、おっかなびっくりの手つきがやわらいできたのは、2週間ぐらい経ってからだったと思う。本は、ちょっとばかり開いたり閉じたりしただけで傷んだりはしない。それに、手付かずのままにせず、空気を通しておくことも大事だと、よく分からない理由もつけて、空いた時間に届いた本の中身に眼を通していく心の余裕も生まれた。
 本の取り扱いで気づいたのは、書店営業を始めたのだから、仕入れた本は営業先に持ち運ぶようにしないといけない、ということ。「こんな本屋の本を販売してます」とリストを示すだけでは、営業先の書店主には伝わらない。実物を通して、ソフトカバーも、ハードカバーも、手づくりのZINEも、その実体を受け止められる。出張販売しかしていないのだったら、なおさら。

 それにしたって、見本を持って書店回りするのは、本当に出版社の書店営業と変わらないなと。その行為自体は、出版社にいた頃に(誰に頼まれたわけでもなく、やる人間がほかにいないから勝手に)やっていたし、初めて訪れた本屋だったら、まずすべての棚をひととおり眺めて、どんな提案ができるかを思い描いてから立場を明かそうと決めている。その本屋では取り扱うことが難しいタイプの本もあれば、そうだとしても仕入れたいと思ってもらえる本もあるので。
 ちょっと見方を変えてみたら、本屋の本を持参して書店営業するということは、仮に出張販売がかなわなかったとしても、本屋の本そのものを、訪れた先の本屋に知ってもらうきっかけにはなる。あの本屋の存在はもちろん把握している、でも、出版をしてることは知らなかった。面白そうだから調べてみよう、よさそうだから仕入れてみよう。そんな流れが、つくれるかもしれない。
 新しい販路のきっかけになるなら、それだけでもやっていることの意味はある。大事なのは、本屋が本をつくっているという現状を、もっとたくさんの人に知ってもらうこと。そして、手に取ってもらえる場所を増やし、売上につなげること。そのサイクルを繰り返して、また新しい出版物が本屋から生まれていけば、生き残るための戦略のひとつとして定着していくかもしれない。
 時間をかけた、本の地産地消みたいなイメージで。

 外出中に、どこかに腰を落ち着けて休むことは、ほとんどない。お昼に差しかかったら、歩きながらアンパンをかじり、スティックパンを頬張り、お茶で喉を潤し、だんだん目的のお店が近づいてくる。なかなか辿り着けないと心中にぼやいていた矢先に、降って湧いたようにお店の立て看板が見つかって。地図をしまったら、じゃあ行ってみようって、なんでもない顔で足を踏み入れる。さも、たまたま通りかかったお客さんのひとりのように。
 あ、この本もある、あの本もある、こっちのジャンルに強い、ZINEもたくさん取り扱ってる、オリジナルのグッズが素敵。そうやって棚を巡り、手に取る本を決めたら、帳場に持っていく。会計を済まし、本をバッグに収めたら、さりげなさを装って名乗り出す。
 実は、本屋をやっている者なんですが、と。

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