ほんのひび

 2024年3月3日の日曜日。
 京急・梅屋敷駅が最寄りの本屋・葉々社さんの2階にある分室で、粛々と本を並べていた。
 〈本屋の本を売る本屋〉を始めて、3回目の出張販売。2月11日に田原町のReadin’Writin' BOOK STOREさん、2月29日に幕張の本屋lighthouseさんと続いたときは、まだどこか気持ちがふわりとしていた。面と向かって誰かに本を売るという自覚と覚悟が、明らかに足りていなかったと思う。眼の前の現実から自分を遠ざけて、表面的に物事をすませようとするいつもの姿が顔を出していた。
 それなのに、葉々社さんの分室で準備を始めたときには、なんだか心持ちが軽くなっていた。単純に設営に慣れてきたのもあるし、お客さんを迎えるんだという方向に自然とシフトできたのもあったと思う。そう、この日までは、何がなんでも持ってきた本を全部綺麗に並べるんだと頑なになりすぎていて、準備のときにあんまりにも余裕がなかった。
 3月3日は高架下のカフェで「梅屋敷ブックフェスタ」が開催されていることもあって、ある程度の集客が見込めた。結果的に数十名のお客さんが来店して、ぎしぎしと誰かが外階段を上ってくる音がするたびに、わくわくした。
 そう、わくわくするぐらいに楽しめたということが、すべてを物語っている。

「本屋の本を売る本屋って、どういうことですか」
 という質問を受ける。
「出版社じゃなくて、本屋が編集して刊行したオリジナルの本を仕入れて販売している本屋なんです」
 という答えを返す。
 そこで気づくのは、業界に詳しくない人であればあるほど、今そこにある本をどこの出版社が刊行したのかなんて、意識もしていないということ。面白そうだから買う、役に立ちそうだから手に取る、その程度の距離感で書籍と接しているのなら、わざわざどこの出版社が出したのかまで考える必要もない。
 だから、ある本屋の店頭にその日限りの出張販売所を構えて、偶然通りかかった人に説明するときほど、「なんだろう」という雰囲気が漂う。そこで手に取ってもらえるように、どう訴えかけられるかも、出張販売しかしていない本屋にとっては生命線になる。

 本を眺めているお客さんに、こんな問いを投げかけることがある。
「好きなジャンルの本とか、探している本とかはありますか」
 本屋の本を売る本屋が取り扱う本は、幅広い。エッセイや日記、開業記、小説、短歌集、文芸誌といった読み物から、写真集、マンガ、絵本、イラストレーターさんの作品集まで。店主のパーソナリティが表れている手づくりのZINEもあれば、リソグラフの作品もある。なかには、造本にこだわり抜いた、素敵なハードカバーも。
 ある程度入荷した段階で、自宅の部屋に試しに並べてみたときは、まあ本当に多彩だなーと自分でも驚いた。棚差しではなく、面出しにすると。そして、「注文しすぎたよね」ということにも。
 そういう、若干の後先考えていない感はさておき、出会いやマッチングは大切にしたいと思っているから、3月3日の出張販売では、当社比100倍くらいの勢いでお客さんに声をかけた。イベントと併せて足を運んでくれているわけでもあるし、売り手とのコミュニケーションを求めている人も少なくないと思ったから。
 実際、訊ねてみたことで、個々の本(または出版元の本屋)とお客さんとの意外なつながりを知らされて、ああ、この事業を手掛けた意味はあったかなと、スタートから半月以上経って初めて実感できた。求められているか、求められていないかではなく、こうやって誰かの記憶と接続するきっかけは生み出せたんだと。
 それは、狭い業界の中で限られた人だけが往き来しているから生じた出会い、というわけじゃなく、場をつくることで生まれる関係性があると、改めて認識できた瞬間だった。

 たぶん、この先の人生で自分が、どこかにリアルの本屋を開くことは、ない。
 正真正銘の本屋(というものが存在するとして)に自分がなることは、ない。
 ただ、出版業界の片隅で何がしかの本づくりに携わっている身として、ただつくって終わりの状態を続けていては、未来に対するなんの助けにもならないと、ずっと感じていた。自分の関わった本を届けたいという一方通行の立場ではなく、もっと直接的に、今この時代における本屋をアシストする取り組みに携わりたかった。というより、携わる必要があった。
 だから、「つくる」の先にある「売る」側のプレイヤーにもなることで、新しいサイクルを回してみようと思い立った。そして、ボランティアの精神ではなく、しっかりとした事業として採算を取る、着実に利益を上げていくことを第一に掲げた。
 そういうことを言い出すと、「なーんだ、結局、ビジネスの話か」と思われるかもしれない。
 でも、個人事業主だし、現実的な手段を通じて双方向的に生き残る道を、仕入先に限らず、すべての本屋と探っていけたらと思っている。

 そんな感じで昨日も今日も明日も、自分の部屋で原稿やゲラと向き合うか、どこかの本屋の店頭やお店の中で、気がついたらそこにいたみたいな雰囲気で本を売っている、そういう今を生きていく。


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