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太宰治『新郎』太宰作品感想10/31

前々回は『十二月八日』、前回は『待つ』をご紹介した。今回は、それらの作品と同時期の昭和17年に出された、『新郎』をご紹介したい。これら三つについてまとめた講演が開かれるほどだから、関連性の高い三作品とみることもできる。

昭和16年(1941年)12月8日、日本は英米との戦争を開始した。その日の文学者の態度については、前々回の投稿に書いた。

太宰治『12月8日』太宰の31作品感想 8/31|鷹端 ~現役男子大学生の徒然話~|note

『新郎』は以下のように始まる。

一日一日を、たっぷりと生きて行くより他は無い。明日のことを思い煩うな。明日は明日みずから思い煩わん。きょう一日を、よろこび、努め、人には優しくして暮したい。

前回、太宰はウソつきと書いたが、これは本当のことを書いているような気もする。黒船来航依頼、太平洋を挟んだ強大な隣国として君臨し続けてきた巨大国家、アメリカ。そして世界中をまたにかけ、近代ヨーロッパ随一の大国として君臨し続けてきたイギリス。細かな各国の経済事情はわからずとも、その二か国と戦争を始めることの危うさを国民は知っていた。そして太宰も、その危うさを痛烈に感じた国民の一人であった。

朝めざめて、きょう一日を、十分に生きる事、それだけを私はこのごろ心掛けて居ります。私は、嘘を言わなくなりました。虚栄や打算で無い勉強が、少しずつ出来るようになりました。明日をたのんで、その場をごまかして置くような事も今は、なくなりました。一日一日だけが、とても大切になりました。
 決して虚無では、ありません。いまの私にとって、一日一日の努力が、全生涯の努力であります。戦地の人々も、おそらくは同じ気持ちだと思います。

これは、或る新聞の文芸欄に載せたものを太宰が作品内にそのまま引用した文章である。開戦後、時を待たずして「臨時取締法」が制定され、統制が厳しくなる。ウソつき太宰も、上手にウソを書いたことだろうから、馬鹿正直に読み取っていいものか、という問題がここでも浮上する。しかし、僕の考えはさほど変わらない。開戦によって緊張感が高まり、生活は苦しくなり食事は制限され、言論の統制も高まり行く時代にあって、太宰治という常に死が背後にあったような人間には、社会全体の滅びの前兆が直観される。そう、一日一日が大切になのは彼にとって自然なことであった。

僕が今回、トップ画像を花屋の写真にしたことの意味は、ぜひ本作を読んで確認してみて頂きたい。秘すれば花なり、秘せずば花なるべからずとは、既に使い古された言葉である。花とはこの場合、美しいものの比喩表現であろう。本物の花は、腹を満たさぬかもしれない。功利主義的測量では、筆頭株に除外されるような儚い存在だ。しかし本作内出てくる花は、秘められるとことなく力強くたくましい。前々回と同様、紹介作品の終わりの言葉で、本作を締めることにしたい。この文章を、太宰がワザワザ付したことの意味について改めて考えてみたい。

┌昭和十六年十二月八日之を記せり。   ┐
└この朝、英米と戦端ひらくの報を聞けり。┘


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