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太宰治『富嶽百景』太宰作品感想 7/31

10月を通してご紹介する太宰治の31作品。7回目の今日は僕の好きな作品の一つ、『富嶽百景』をご紹介させていただこう。日本の富士は、見る角度によって様々な表情を見せてくれるもの。それを痛烈に感じさせてくれるのが、この『富嶽百景』作品という作品である。

太宰は本作の中で、富士を褒めるばかりではない。時に悪く言う時もある。

…実際の富士は、鈍角も鈍角、のろくさと拡がり、東西、百二十四度、南北は百十七度、決して、秀抜の、すらと高い山ではない。たとへば私が、印度かどこかの国から、突然、鷲にさらはれ、すとんと日本の沼津あたりの海岸に落されて、ふと、この山を見つけても、そんなに驚嘆しないだらう。

富士は古くから日本人にとって大切な山であるが、海外の人間からしてみれば大したこともないのかもしれない。海外の友人がいないから、その辺はよくわからない。僕は鈍感だから、遠くから望む富士はどれも美しいと思う。

太宰は、東京から見る富士は苦しいという。御坂峠から見る富士は、銭湯のペンキ画のように出来過ぎていて、好かないと言う。三ツ峠に登ったときに立ち寄った茶屋からは霧が濃くて富士が見えなかったが、老婆は普段はこのように見えますと持ち出した写真の富士は「いい富士を見た。」と褒めている。こんな調子で、富士に纏わる太宰の主観的な話が展開されている。

僕はこの作品の中で、面白くてつい吹き出してしまった箇所がある。少し長いが引用したい。

二階の私の部屋で、しばらく話をして、やうやく馴れて来たころ、新田は笑ひながら、実は、もう二、三人、僕の仲間がありまして、皆で一緒にお邪魔にあがるつもりだつたのですが、いざとなると、どうも皆、しりごみしまして、太宰さんは、ひどいデカダンで、それに、性格破産者だ、と佐藤春夫先生の小説に書いてございましたし、まさか、こんなまじめな、ちやんとしたお方だとは、思ひませんでしたから、僕も、無理に皆を連れて来るわけには、いきませんでした。こんどは、皆を連れて来ます。かまひませんでせうか。「それは、かまひませんけれど。」私は、苦笑してゐた。「それでは、君は、必死の勇をふるつて、君の仲間を代表して僕を偵察に来たわけですね。」  「決死隊でした。」新田は、率直だつた。

「決死隊でした。」とサラリと書かれた一文がどうも面白い。佐藤春夫のように太宰は性格破綻者だったという者もいれば、案外に一般な人間であったという者もいる。太宰は富士と同じく、出会う者によって様々な表情をみせていたのかもしれない。

昔、といっても随分幼く小学2年だった頃、兄と共に父に連れられ富士に登ったことがある。8合目で高山病にかかったのか息が苦しく、段々と眠くなったのだが「寝たら死ぬぞ」と言われ、寝ても別に死にはしないだろうと思いつつ何とか起きていた記憶がある。今思えば、自分で言うのも何だが正に「決死隊」であった。幼い時期にはなかなか体験できない得難い貴重な体験ができたということで、富士に連れて行ってくれた父を恨んだりというようなことはまったくない。

本作内では、バスに揺られながら老婆とともに富士が見える向きとは反対側の車窓から月見草を眺めるという逆張り的なわかりやすい描写もあるが、それも富士という山を心根で強く意識してのことだろう。茶屋の娘を一人にしまいと、井伏鱒二氏に師事して住んでいた二階の部屋の下階にある茶屋で時間を過ごしたりなど、太宰の優しい一面ものぞける。しかし冬になり、せっかく新しいこたつをおかみさんが用意してくれたのに下山を決める気遣いのなさ、やはり太宰はへんてこである。それでも僕は、太宰が好きだからこんな連載を続けている。だが人に写真を撮るように頼まれたのに、依頼人を撮らず富士だけを写真に収めるとは、やっぱりずれているとしか言いようがないと思う。


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