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太宰治『散華』太宰作品感想 16/31

詩とは、一体なんだろうか。つい先日、文学概論の講義で女子学生が「詩とは何ですか?」と、その問いこそ詩的だと言いたくなるような質問をしていたが、フランス文学研究者(主にモーパッサンを研究)の教授は、それに「私は詩は、何かを讃えるものだと思うんですよ。」と応えていた。僕には、あんまりしっくり来なかった。女子学生も、何か腑に落ちない様子であった。

太宰も『散華』において、詩について考えを巡らせていた。一時期、三田という学生が太宰のところへ時々顔を出していたのだが、太宰は三田の作品の内に詩の才能を認めることができなかった。

私には、詩というものがわからないのかも知れない。山岸さんの<いいほうだ>という判定を聞いて、私は三田君のその後の詩を、いちど読んでみたいと思った。

山岸さんというのは恐らく、『人間太宰治』などを著した詩人、山岸外史(1904~1977)のことであろう。三田は太宰のところに通うのを辞めた後、山岸の下で詩を習うようになる。山岸が三田を評価したため、太宰がまた改めて彼の作品に触れてみようとした矢先、三田は出征ということになった。出征先から太宰へ向けて、数通のお手紙が届いた。

いま私の手許に、出征後の三田君からのお便りが四通ある。もう二、三通もらったような気がするのだけれども、私は、ひとからもらった手紙を保存して置かない習慣なので、この四通が机の引出の中から出て来たのさえ不思議なくらいで、あとの二、三通は永遠に失われたものと、あきらめなければなるまい。

一通目から四通目まで全てを引用すること量が膨大となるためここではしないが、お手紙は四通目、つまり死に近づくにつれて立派になり、三通目あたりからは詩人気質がはっきり出てくる。四通目を書き終え、三田はアッツ島で戦死を遂げる。

けれども、私は以上の三通のお便りを紹介したくて、この「散華」という小説に取りかかったのでは決してない。はじめから私の意図は、たった一つしか無かった。私は、最後の一通を受け取ったときの感動を書きたかったのである。

もったいぶることもない。先に四通目の手紙をここに引用してしまおう。

 御元気ですか。
 遠い空から御伺いします。
 無事、任地に着きました。
 大いなる文学のために、
 死んで下さい。
 自分も死にます、
 この戦争のために。

先の大戦における終末感については、これまでnoteに色々と書いてきた。しかし、この手紙のような強烈な響きを持つ言葉を僕は他に知らない。この「死んで下さい。」という言葉は、現代人が怒りから人に向けて発する「死ね。」という言葉の、全く対極にあるような気がする。太宰はこのお手紙を貰った最初の端的な感想として、「うれしかった。よく言ってくれたと思った。大出来の言葉だと思った。」と書き残している。

詩とは何かについて、本作で太宰が明確に示していることは何もない。しかし僕は詩とは実に純粋なものだと思うし、太宰もそのように捉えていたものと信じている。僕は理屈が嫌いなところがある。それは、これまでの太宰作品感想を読んでもらえればお分かり頂けることと思う。四通目の手紙は如何にして読んでも、理屈めいたところは見つからない。

「詩」を、変換ミスで時々「死」と打ち間違えながら、僕は土日の休日を迎えた。太宰が作品内で三回も四通目の手紙の内容を引用しているのだから、もう一度くらいは引用しておかないと太宰に悪い気がして、ここに四通目のお手紙を今一度引用する。

 御元気ですか。
 遠い空から御伺いします。
 無事、任地に着きました。
 大いなる文学のために、
 死んで下さい。
 自分も死にます、
 この戦争のために。


最後に一つ、読者の皆様に断っておきますと、僕は生きることは、決して悪いことではないと思っております。それでは皆さん、よい休日を。

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