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友だちのつくりかたを忘れてしまった

大人になって、友だちのつくりかたが分からなくった。

これは私の今の悩みだ。

生まれ育った東京(厳密には埼玉)を離れて早3年。東京にいた頃に一緒に遊んでいた友だちも結婚したり母になったり、ライフステージが変化している。

多くの友だちは東京にいて、県も国も跨いで転々と生活しているのは私ぐらい。長らく会えていないけど、今はSNSもあるしZOOMだってある。だからまったくの孤独感はあまり感じない。
きっと、青春時代である部活を一緒にやった仲間だから、心のどこかでつながっている感覚があるのかもしれない。頻繁に会えなくても、「きっと今あんな感じかな」と想像できたりもする。もちろん、しょっちゅう想像しているわけじゃないけれど。

でも。


いまの生活で関わりがあるのは、会社、greenz、夫、夫の家族ぐらいだ。
会社もgreenzも基本はオンラインだから、対面で同じ時間を分かち合えるのは家族だけ。

広島の田舎に移住して一年が経つけれど、コロナ禍ということもあり、なかなか近所を開拓しきれていない状況。知り合いは少しずつ増えているけど「友だち」と言えるほどの仲ではないような気もする。コロナ禍の地方移住、なかなかハードだ。


そんなわけで、私はいま、友だちを欲している。

そして本題に戻ると、友だちのつくりかたが分からなくなってくる現象は、多くの人が感じていることじゃないかと思う。これは、「大人になると彼氏・彼女のつくりかたが分からない」だったり、「大人になると出会いの場がない」という悩みにも通ずるのではないか。

はたして、本当に「大人になる」から「分からなくなる」のか?なんだか辻褄が合わない気がする。


大人になると変わることってなんだろう。
全員に開かれている義務教育を終えたあとは、大学、職場、結婚など取り巻く環境が多様化して、置かれた環境で人間性がつくられていく。

知らないうちに、「私はこういうカテゴリーに属する、こういう性格の人」と決めてしまっているのかもしれない。
だから、新しい出会いがあっても「この人とは深く付き合えないかも」と心を閉ざしてしまうこともあるのかもしれない。


幼少期は、クラス全員と一度は話したり遊んだりしたと思うし、40人弱の小さなコミュニティが自分の“世界”だった。仲良しな子も、苦手な子も、協力してくれない男子も、子どもならではの喧嘩も、深く考えずに、本能的に付き合えていた。今考えると、レクリエーションも、修学旅行も、総合学習も、本当に仲良くしたい友だちに出会う必要なステップだったのか。


大人になると、無駄を省くことを覚えてしまうから、友だちがつくりづらくなるのかもしれない。そして、無意識のうちにつくりあげてしまう自分像が友だちづくりを邪魔しているのではないか。


この記事を書いてみて、「大人なんだから、こう振る舞わないといけない」という考えは手放したいと思った。大人だからじゃなくて、自分はどうしたいのかを大切に過ごしていきたい。

人生いろいろありますが、今しかできないことに挑戦していきます♩