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俳句と共感と対話精神療法

神田橋條治先生という精神科医の書かれた「共感の方法」という記事を読んだのでそこから連想したことを書きたい。

神田橋先生は私が日本で大学院生をしていた頃から存じ上げていて、主にはそのご著書から影響を受けてきた。アメリカに移住してからも、中井久夫先生と共に密かに師と仰いできた。その先生の寄稿された「共感の方法」という記事を見つけた。
 
詳しくは記事を読んでいただきたいが、臨床心理をやっていない方には少し分かりにくいかもしれないので、簡単にまとめてみたい。
 
治療には技術の錬磨と共感が欠かせないが、後者は訓練という概念に馴染みにくい。それでも神田橋先生は共感力を高める方法を工夫されてきた。
 
治療中に起きてきた自身の情緒反応(例:共感、不安、苛立ちなど)に注意を向けていくことは、対話を中心とした精神療法では必須である。それに気づかずに治療者が対応してしまうと、ピントはずれな対応となり患者を傷つけたり混乱させたりしてしまうからだ。自分の感情的反応に気づくのは共感的な対応に欠かせない。
 
それに気づく感度を高めるための方法として、神田橋先生は言葉や文章に接した後の余韻を味わうという方法を考えられた。そこに読んだ本人の情緒反応が必ずあるからだ。同じように治療後の情緒反応に目を向けていく。そこに患者だけでなく、二人の関係、そして自分自身の癖を見つけるヒントがあるからだ。これを続けることで先生の面接技法は完成したと思われていたと言う。
 
ところが先生が俳句のテレビ番組を見ていたときに新たな着想が湧く。評者たちが作品の言葉やイメージに加えて、作者が句を作る直前に味わっていたであろう気分にも話題にしていること気づかれたからだ。余韻を味わうのは言葉が生まれた後のことで「手遅れ」であるが、「コトバが発生する直前の空白とコトバが結実する瞬間、の気分」に注意を向ければより共感の感度が増すのではと考えられた。
 
そこで新しい訓練方法を思いつかれる。まずは手紙などを受け取った時、それを書き始める直前の書き手の心身の雰囲気を空想することだ。そして次に治療の中で相手が言葉を発する直前の自分の情緒反応に注意を向けることを習慣にしていく。これを続けるとだんだん、相手が何を言おうとしているかを察知できるようになり、コミュニケーションに誤解やずれが少なくなっていくという。
 
ふー、先生の文章は一言一言の背後にこれまでの経験と思考の蓄積があるので、分かりやすくまとめるのが大変難しい。これは未熟な私の未熟な要約なので、興味がある方には是非、先生の書かれた記事を読んでほしい。
 
私がこの記事に惹かれた大きな理由は、先生がテレビの俳句批評からこの訓練方法を思いつかれたからだ。私は俳句はやらないがnote仲間のmimosaさんが俳句をされるので彼女の作品を読む機会ができて、その世界を少しだけのぞかせていただいている。最小限の言葉しか使われていないのに、読んだ後の余韻の中に生まれてくる深みや広がりにいつも感嘆する。
 
先生の記事を読んで、彼女の作品に触れたときに余韻を楽しむだけでなく、確かに彼女の中で言葉になる直前の体験や気分、そして言葉を見つけた時の喜びにも思いを馳せていたことに気づく。これは彼女に親しみを感じているからだと思う。ここで気づく、なるほどここに共感の芽があるのだと。

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