見出し画像

ベルリンの壁崩壊前の国境検問所での悪夢

グリーンカードとして知られているアメリカの永住者カードは10年ごとに更新が必要だ。更新手続きは期限の切れる6ヶ月前から始めることができる。来年の4月に期限切れなので10月に入ってすぐオンラインで更新手続きをした。
 
手続きをしてから2年経っても新しいグリーンカードが届かないという話を聞いたこともあるので、気長に待つつもりでいた。
 
ところが約1週間後にもう新しいカードが届いてしまった。信じられなくて何度もカードを見たが、正式なグリーンカードである。ただ一つ問題があった。10年前に使ったのと同じ顔写真が使われていたのだ。
 
夫が「別人みたいだ」と言うように写真の私は随分若く見える。この写真をあと10年使うのは無理があると心配になった。
 
それで思い出したことがある。私は1980年後半、まだドイツが西と東に分断されていた時代に日本の大学の交換留学の制度を使ってドイツに一年留学した。一応日本の大学ではドイツ文学を専攻していたのだ。
 
冬の寒さが緩んだ頃、仲の良かったドイツ人の友人が西ベルリンに遊びに行こうと誘ってくれた。私はすぐにその誘いにのって、二人で旅の計画を立てるなかで、東ベルリンにも足を伸ばそうと言うことになった。
 
覚えている方も多いと思うが、西ベルリンは東ベルリンの中にある飛地で周囲を頑強な壁で囲まれていた。東ドイツ人が西側へ亡命するのを阻止するためである。だから東ドイツ人が西ドイツを訪ねるのは簡単ではなかったが、西ドイツ人や外国人が東ドイツに行くのはそれほど難しくなかった。
 
細かいことは覚えていないが、一日ビザを取るために事前に記入した書類を持って国境検問所へと向かったと思う。西ドイツ人と外国人の列は分かれていたので、友達と検問所を出たところで落ち合おうと約束してそれぞれの列に加わった。
 
やはり西ドイツ人の方が優遇されるのか対応する入国審査官の数が多くどんどん進んでいくが、外国人の列の方はなかなか進まなかった。かなり待たされたあと、私の番がやってきたので私はパスポートと書類を審査官に渡した。強面の審査官は私の顔とパスポートを何度も見比べている。
 
当時、ヨーロッパを旅行すると入国審査で結構念入りにパスポートを調べられたり、私の顔と見比べられたりすることがあった。本当かどうかは定かでないが、日本赤軍のテロ事件からそれほど年月が経っておらず、日本のパスポートを持っていると国際手配されているメンバーでないかを確かめていると聞いたことがある。
 
加えて東ドイツにはアジア人の旅行者が少なかったので、顔の見分けがつかないのだろうと思って、気楽に構えていた。
 
ところがである。なんとその審査官から別室に来るように言われてしまったのだ。恐る恐るついていくと、7、8名の入国審査官、と言うより兵士たちに囲まれてしまった。皆、屈強、強面、仏頂面の東ドイツ男性たちである。
 
ドイツ人は一般に表面的にはフレンドリーではない。東ドイツでは愛想のなさがさらに5割り増しくらいになる。しかも国境のお役人たちである。さらに5割増しだ。若い私は震え上がった。
 
「もういいです、西に戻ります」と言いたかったが、友達が先で待っている。携帯などなかった時代、友達と連絡をする手段がなくなんとしても国境を越えないといけない。震えそうになる足を踏み締め空元気を出して彼らの前に立っていた。
 
兵士の一人がパスポートと私の顔を念入りに見比べる。パスポートが次の人に渡され、またその人がじっと見比べる。不愉快なことこの上ない。永遠に続くかのような時間が過ぎて、やっと最後の人がパスポートと私の顔を見比べた。着ているものや年齢からここで一番偉そうな人である。その人が一言、真顔で私に聞いた。
 
「太った?」
 
そうなのだ。日照時間の短いドイツの冬のせいで、今から思えば季節性うつ病になっていた。気分の落ち込み、過眠に加えて、猛烈に炭水化物や甘いものが食べたくなり多分、10キロくらい体重が増えてしまっていた。いずれも季節性うつ病に典型的な症状である。
 
張っていた胸を丸めて、「はい、太りました」と小さな声で答えた。それを聞いても場の雰囲気が和むことがないのがドイツらしいところだが、お陰で無事に入国審査を通った。
 
待たせていた友達に会った時は膝が崩れるくらい安堵した。心配してくれていた友達に事情を話して観光に向かったが、そこで何を体験したか今、全く思い出せない。やはり入国のプロセスがショックで他のことを記憶できなかったのだろう。
 
今思い出してみるとオチで笑えるし、何よりもその友達のことを思い出して心が温かくなった。悩み多き20代にお互いの悩み事も話し合え、いろんな影響を受けた友達に久しぶりに連絡を取ってみようと思った。
 
さて話はグリーンカードに戻る。10年後もアメリカに入国できるように、老けるのは仕方ないが体重管理には気をつけようと心に誓った。


ちなみにベルリンの国境検問所のことを調べていたら下記のブログを見つけた。ベルリンに長く住む音楽家の方のもので、私たちが通った検問所を紹介している。今は検問所跡として保存されていて一般にも公開されているようだ。緑色の制服と帽子の写真があるが、私の記憶にある兵士たちが着ていたものと一致する。

https://toruberlin.exblog.jp/30753539/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?