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偽善かどうかはさておき、ホームレスにステーキをあげた話

NYを観光していて、ホームレスにステーキをあげた話を書きます。

昨日まで、8泊10日でロサンゼルスとニューヨークに行っていました。

円を稼ぐ日本人にとって高すぎるアメリカ

今年2度目の米国ですが、プライベートでの渡航は実に6年ぶり。
物価に対しては「高い❗️」のひとこと。
円安×米国内での物価高で、円を稼ぐ日本人にとってはアホらしいほど高いのです。

  • ペットボトル水500mlは1本3〜4ドル(500円程度)が相場

  • 食事はファストフードでもmin10ドル(1,500円)〜

  • 郊外でも宿泊費はmin1泊200ドル(30,000円)〜

そんな中、低予算で旅行をしていたものですから、キャリー1.5個分の食事を携えて貧乏旅行をしていました。

これでもかと詰め込んだ食材
※カレーは持ち込みNGで持参できず

確実に荒廃した市街地

私の肌感覚ですが、9年半前のロス、6年前のニューヨークと比較すると、市街地がかなり荒廃した印象です。
街はゴミだらけ、ホームレスだらけ。
さらにロスに関しては、高齢者ばかりで活気がなくなっていました。やはり、日本は高齢化先進国です。

ちょうど昨日バズりツイートを発見しましたが、まさにこんな感じでした。

アメリカは人が住める地域ではなくなってる?


最近はメディアやYouTubeで、「行き過ぎた格差社会による米国崩壊系コンテンツ」を目にする機会が増えました。

この動画では、アメリカは下記のように紹介されていました。

・NYはもう住めない(マンハッタンの平均家賃は月67万程度、年収5,000万円でも節約しないと生活できない)
・高所得者層でも、50%は経済的な不安を抱えている
・物価上昇率>賃金上昇率が続いており、中間層の生活が壊れ、ホームレスが爆増している
・円安とアメリカの物価高により、日本円で生活する日本人にとって、アメリカの物価は体感覚で1.6倍ほどになっている
・ビバリーヒルズもゴーストタウン化している
・ロス、ニューヨーク、サンフランシスコから、テキサスなど家賃の低い土地へ、高所得者の移住が進んでいる
・全米でみると、1万人のうち20人がホームレス

動画より抜粋

数字にすると恐ろしい実態です😓

街のホームレスにも変化が?

日本をはじめ先進国の、それも市街地には、高齢のホームレスは見受けられるものの、小さい子を抱えたお母さんホームレスをみることは滅多にありませんでした。
物価高も相まってか、今回の渡航ではかなり多くの”子を抱えたホームレス”を見かけました。

難民地域や発展途上のアジア圏とは異なり、米国でのホームレス爆増をリアルに感じると、日本の豊かさを再認識するとともに、「一寸先は自分たち」という不安が襲ってきます。

貧乏旅行で残したステーキ1食

冒頭のように夫婦で貧乏旅行をしていたのですが、流石にニューヨークにきたら1度はステーキを食べようと、それなりにお値段のするステーキを食べに行きました。ちゃんとした外食は、8泊のうち1〜2回、そのうちの1回です笑

限られた贅沢の機会で、ハプニングが発生しました。それは、妻の口内炎が痛すぎて、ステーキを注文したはいいものの、肉が喉に通らなかったこと。

せっかくの外食ですが、泣く泣く1食分をフードロスしてしまうことに。
これは地球に優しいとは言い難い、「天龍人」のような最低な日本人かもしれません😥ごめんなさい。

そのとき、頭によぎったのは街で見かけたホームレスの少女です。
今までは残したご飯をホームレスにあげようとは思いもしませんでしたが、先進国アメリカのホームレス事情を目の渡りにし、ふと頭をよぎったのです。

偽善でもいいから、目の前の人を喜ばせたい

手をつけてはないものの、食べ残しのステーキを人さまにお渡しするなんて、一見すると偽善行為ですよね。
嫌な奴かもしれないなぁ〜と思いながらも、決して裕福とはいえない貧乏旅行中の日本人ができることは、食べ残しのステーキを渡すことだけでした。

意図せず残してしまったステーキ
(ベンジャミンステーキハウスにて)

ということで、勇気を振り絞ってスターキをお渡しすることに。

ラッピングしてくれたステーキハウス
改めて、フードロスを心掛けたい
綺麗な状態!

街でみかけた小さい子供を抱えたホームレスのところまで、歩いて戻りました。
「これ、妻が体調不良で残してしまって、手をつけられなかった。もしよかったらどうですか?」と英語で伝えたところ、長女とお母さんが喜んでくれました。
このときの笑顔は嬉しかった〜

撮影させていただきました

先進国アメリカのホームレス爆増を目にして、より身近になった貧困問題。
リアルな問題意識が、以前だったら素通りしていた道を引き止めてくれました。

この気づきと体験は偽善かもしれませんが、目の前の人が素直に喜んでくれたのであれば、その行為が偽善のようでも構わない。
お節介かもしれないけど、できることは与えていきたい。
そんな気づきでした。


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