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9月のはじめに


8月の末にワクチンを打って寝込み、外へ出たときには気づけばもう9月に入っていてすっかり外も肌寒くなっていた。

ほとんど何も食べられずだったけれど、体の調子は逆によくってなんだか身体中の老廃物が体重とともにどっかへ流れていったような感じ。
だから長袖のスエットをタンスの奥の方から引っ張り出して外へ出たとき、この少し肌寒い気温と夏の終わりと秋のはじまりのちょうど境目の線の上のような空気がすごく優しかった。

本当に一年が過ぎる速度が早すぎて、あっという間に夏が終わって寒くなる今がさみしくなる。だってこの秋も気がつけば過ぎていくんだろうから。


2021年もあともう数ヶ月で終わる準備を始め出して、私にもようやく色々と(物理的にも精神的にも)準備をしなければならない時期がきたのだと嫌でも実感する。
ついこの前まで自分のやるべきことを再確認して「よし!」なんて言っていたのだけど、おちおちのんびりしてもいられないなあなんて思う。急ぐわけではないけれど、もう、本当にきちんと固めなければいけない。

ぽつぽつ、でもほとんど毎日手をつけている話があってそれは今並べた言葉たちが指しているそれで、必ず、絶対に、どうしても私が書き上げなければいけない話。
自分のトラウマでもあることを思い出しながら、眉間にしわを寄せながらその話と向き合っている。

その資料として、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』をもう何十回も最近は読み返していてその度にココロの左奥上が消耗していくような感覚になる。
でも同時に彼の紡ぐ文字たちは消耗してすり減ったココロの一部にとろとろの溶けた透明な硝子を流し込んでかたちを補ってくれるような、そんな感覚にもなる。
大学時代の時に”灯籠祭り”を舞台にした中編の話を書いて、その時も『銀河鉄道の夜』をイメージしながら書いたのだけど今思えば全然それにならっていなかったなあと反省する。

というか今まで書いた全部の作品に反省点盛りだくさんなんだけど。
昔パソコンを水没させてしまってデータが飛び、紙媒体の作品を持っていた人や教授にも協力してもらい過去に書いた作品たちを入手し、データに起こすという地獄のような作業をしたことがあって、もう本当に嫌んなったんだけど(自分に)それでもやってよかったことがあって、その時の自分の考えとか状態とかを見返すようなことができたこと。作品には本当に書いた当時の自分がまざまざと写っていて恐ろしく恥かしくもあって懐かしくもなり勉強にもなったという経験がある。自分の書き癖みたいなものもそこで自覚することが出来たし。あれは必要な経験だったんだろうと言い聞かせていいる。(修理代ばかにならなかったけど)


と、つらつら書いたけれど。
とにかく、今わたしは自分と作品に向き合うときが来ていて、頑張りますという”独りごと宣言”をここにポンっと置いておこうと思いnoteを投稿したのでした。


季節の変わり目、お身体ご自愛ください。
ゆずを絞って蜂蜜入れてお湯で割ったゆず蜂蜜を飲んで、あったかくして過ごしましょう。


#日記

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