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女心は秋の空


「秋みたいだね」とか「秋っぽいね」とかじゃなく、もう本当に本格的に秋になったんだと先日の帰り道で嗅いだ風の香りで感じました。
もう9月だし、明後日には秋分の日が控えているからそうなんだけどこうやって自分の五感で感じて初めて季節の移ろいを感じるのは幸せなことだと思う。

ぶどうを買おうと八百屋さんに行ったら、店の真ん中あたりに栗がちょこんと売られていた。これも、秋だ。
今日は栗おこわを作ろう!と決めた。

この季節になると私はまるで秋を出迎えようとするみたいに秋刀魚が食べたくなるのだけど、やっぱり今年の秋刀魚も値段が高くって、しかも今の家には魚焼きグリルがないから買うのを躊躇してしまう。
秋刀魚は絶対に魚焼きグリルか七輪で焼いたものを食べたい!初秋刀魚ならなおのこと!
大好きな鱈の西京焼きは魚焼き用アルミホイルでいいんだけどね。

そういえば、高校の時からの友人がお母さんになった。元気な男の子。
それと、もう一つ。大学時代の友人が彼氏と別れたらしい。

私が秋を感じた帰り道、その友人と電話をしていた。
長いのか短いのか、半年間のお付き合いだったらしいんだけど彼女は泣きじゃくっていた。多分今が一番辛い時で、辛い記憶も楽しかった記憶も鮮明で忘れるにはもう少し時間がかかるんだろうなあと思いながら私はただその友人の話を聞いていた。
ドラムを習っている彼女はその教室で出会った人と付き合っていて、音楽好きな彼が好きだった曲が聞けなくなってしまったこと。借りていた辞書をどうすればいいのか分からないこと、やっぱりもう一度会いたいこと。

よく言われることだけれど、昔好きだった人が好きだった歌って簡単には聴けないよなあ。もうその人への気持ちが温かいものになっていたとしても。
一瞬でその頃の記憶が蘇ってきて、どうしようもなく懐かしい気持ちになる。記憶だけじゃなく、五感まで全て蘇るから、もうどうしようもなくむず痒くなる。これは私だけなのかな。。

とまあ、そんな友人、おととい好きな人ができたらしい。
楽しそうに、幸せそうにミルクティーを飲みながら、昨日そう言っていた。

なるほど。女の移り気というものはなんて分かりやすいのか。

彼女が好んでつけていた香水は、変わっていた。
石鹸みたいな香りは、花のようなそれに変わっていた。
面白おかしいスタンプたちが、可愛いウサギのスタンプに変わっていた。
彼女がカフェでミルクティーを選ぶのを初めてみたし、ワンピースが欲しいなあと話していてたまげた。

恋は女を変えるなあ。

でも幾つになっても人が泣いているのを見るのはなれないから、笑っている彼女を見てホッとした。振り向いてくれるといいね、頑張れよ!

結局、人によってついた傷は、人によってでしか癒せないんだなあと思う。
でもそれってすごく生産性があるというか、そのためにこの世界にはこんなに人がいるんだと思う。全部が歯車みたいに回っているんだろうなあ。
そうやって人は過去を過去にしていまを生きていくんだろうな。


過ぎていく過去の中で忘れてしまうこともあるけれど、忘れてしまうという事は、無くなってしまうという事ではない。


「一度あったことは忘れないものさ、思い出せないだけで」


銭婆の言葉は本当に言い捨て妙だなあと思う。ジブリって本当に深い。

生きていくかぎり積もっていく記憶はいつか必ず溢れてしまうから、少し場所を移しつつもどこかでひっそりと生き続ける。”記憶”がすがたを変えて”経験”となる。

この世界の理を一つ感じた。

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