『君たちはどう生きるか』 「母」という存在

※本記事は映画『君たちはどう生きるか』のネタバレを含みます。


見ている途中、何度も難しいと感じた。
何度も場面が様変わりしては、行動心理もパッとはわからないことも多かった。

しかし、終盤、時の回廊でヒミと別れたシーン。ここで強烈に、「母」という存在の偉大さ、そしてこれまでとこれからの眞人の心の在りように少し、触れることができた様に感じた。


セリフを一言一句覚えてはいないけれど、眞人はヒミと一緒に元居た世界に戻ろうとした。しかしヒミは、自身の時系列の世界に戻ろうとした。
眞人が「病院の火事で死んじゃう」と言ったのに対して、ヒミは「素敵じゃないか、眞人を産むなんて」と言った。このとき、ヒミにとって眞人という何にも代えられない、愛する息子がすべてだったのだと感じた。たとえ火事で死ぬことになっても。

そして眞人は、母の愛情を深く感じ、母がいなくなってしまったことも含めて今の自分が在ることを受け入れられたのではないだろうか。

というのも、この出来事が起こるまで、きっと眞人にとって母のいない世界はどうでもよかったのだ。だからナツコを最初は母とは思うことができず、いるはずがないとわかっていながらも母を求めて塔に立ち入ったのではないか。

しかし、やはり母は存在せず、ナツコを探すことと、長らく感じていない母の愛情を渇望する感情だけが残された。そしてようやくナツコを見つけた産屋。そのとき初めて、「ナツコお義母さん」と呼ぶことができた。このシーンでは、眞人には受け入れ始めた気持ちと、無意識的に母という存在を求めていて、まだ現実からの逃避感が残っていたようにも感じる。ただ、その変化は大きな一歩で、個人的には2番目に好きなシーンでもある。

そして、積み上げられた世界や継承問題とか色々あって、ラストに繋がる。眞人が自身でつけた傷は弱さの表れであり、残された傷跡と塔での出来事は、思い出せなくなったとしても確かに眞人を支えている。これまでの痛みとこれから出会うであろう苦楽もひっくるめて今を、選択を受け入れて生きていく強さを得たように見えた。そしてそこには、ただならぬ母という存在、愛する息子を想う気持ちがこの世界を創り、光が宿っているのだと感じた。


これまで積み上げた自身の五感をもって、これからをどう描いていくか。そう言われたような気がして。
君たちはどう生きるか。

風を受け走り出す 瓦礫を越えていく
この道の行く先に 誰かが待っている
光さす夢を見る いつの日も
扉を今開け放つ 秘密を暴くように
手が触れ合う喜びも 手放した悲しみも
飽き足らず描いていく 地球儀を回すように

〜 米津玄師 『地球儀』〜





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