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サンライズ

 鎌倉に住んでいた当時だから、いまからおよそ八年前になるが、そのころアパートのベランダでアイビーを育てていた。花屋で簡単に手にはいる品種もあれば、日本ではほとんど栽培されていないものもあった。後者は、長崎に農園をかまえる業者さんに譲ってもらったもので、タイトルにあるとおり、確かサンライズという品種だったと思う。が、定かではない。後述するが、手元にその鉢もなく、なにせ昔のことなので記憶が糢糊としているのだ。
 さて、アイビーと聞くと、壁面をつたうものを想像するかも知れないが、サンライズは直立型といって、支えを用いずともまっすぐ伸びる。新しい葉は、黄色味が強い。珍しい品種だと聞いた。
 アパートなので庭はない。十ばかりを鉢植えにして育てていたが、わたしのお気に入りはこのサンライズだった。オークションで落札した、朱泥の角鉢に植えて、二、三日に一度、水をたっぷりやった。梅雨や夏の湿気に弱く、風通しが悪いと病気になることもあると聞いたが、幸いなことに順調に育ってくれた。
 鎌倉に越してから一年が経とうかというころ、友人の誘いもあって、愛媛に越すことにした。引越しをするのには身軽なほうがよいからと、育てていたほとんどのアイビーは、空き地に植えるなり譲るなりしてしまったが、サンライズだけはどうしようか迷った。迷った挙句、なじみのはきもの屋さんに預かってもらうことにした。そこの女将さんは、預かるのはよいが必ず取りにこいといった。わたしは、一年でまた、鎌倉に戻るつもりだったから、きっと取りにくると応えたものの、実はまだその約束を果たせないでいる。
 当時から、小説を書き、賞をとってみせるとうそぶいていたが、なかなか書けなかった。ようやく書けるようになって、とある文学賞にはじめて応募したのは二年前だ。なにか結果をだせれば、女将にも会いにゆくきっかけになるのではと思っていたが、それも簡単ではないと知れた。
 先日、なんとはなしに、そのはきもの屋をネットで調べると、建物の老朽化にともない実店舗は閉店したとあった。その近所にあった、ペルシア絨毯の店もたたんだとあった。
 わたしが暮らしていたころの街の特徴は、少しずつ失われているのだろう。あたりまえのことかも知れないが、それはそれで寂しいものだ。わたしの人生からも、次第に夢や希望は失われ、暗くじめじめとしたなかで、それは終わってしまうのだろう。そんな予感がする。いや、確信めいたものがあるのだ。小説家になど、なれるはずはないのだ。
 このような諦念が、頭の片隅にあったからかも知れない、先日、教材の原稿執筆、校正をおこなう外注スタッフの募集に応募した。若いころに小中学校でつかう教材の編集をやっていたので、いくらか覚えはあるのだ。小説がお金にならなくても、教材の原稿なら書けると思った。暗くじめじめした末路に甘んじるを、潔しとは思えなかったのである。文章を書いて、糊口をしのげれば、それは、いまよりいくらかましだろうと思ったのかも知れない。
 四社応募して、二社からは、採否を決めるためにと課題をだされた。先週までにそれを済ませているので、いまは結果待ちである。採用されたからといって、すぐに仕事をもらえる約束はないが、受かっていればそれだけでいくらか救われる気がする。ここしばらくは、新しいことに挑戦する気概もなく、たたぼんやりと過ごしてしまったきらいがある。だが、ようやく動くことができたのだ、大それた望みではない、どうか叶ってほしい。

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