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私の竹取物語

かぐや姫の罪とは何でしょうか。
彼女は父親の罪を被ったのではなかろうか。

まずは、次の資料に触れて下さい。7世紀末、朝鮮半島の歴史です。

神文王(しんぶんおう、生年不詳 - 692年8月19日)は新羅の第31代の王(在位:681年 – 692年)・・・。先代の文武王の長子であり、母は慈儀王后。王妃は初め蘇判(3等官)の金欽突の娘であったが、即位直後に金欽突が謀反の疑いで粛清されたために宮中を追われ、後に一吉飡(7等官)の金欽運・・・の娘を迎えて神穆王后とした。665年に太子に立てられており、681年7月に先王が死去すると王位に就いた。三国統一後の唐の撤退を受けて、国内統治の基盤を固め、王権の強化に努めた。

――ウィキペディア「神文王」(閲覧日2022/6/10)

かぐや姫のモデルは金欽突の娘ではないかと私は空想します。

当時の新羅は、百済と高句麗を征服し、朝鮮半島を統一しており、新羅の王に従う貴族たちは、権力闘争に明け暮れていたと思われます。

おそらく、高句麗系の父親(金欽突)は、新羅系の貴族にはめられ、粛清されて、かぐや姫(金欽突の娘)は、京都に身柄を拘束されたのだろう。
ちなみに、京の都は、新羅の文化を発信するための都です。

そして、高句麗系の貴族は、祖国復興のため、月氏の王族の血を引くかぐや姫を迎えに来たのではなかろうか。迎えの者たちの中には、渤海国の初代の王、大祚栄(だいそえい)も、いたかもしれません。

当時の日本は、白村江の戦い(663年)に敗れたばかりですから、物語のように、高句麗の戦力には太刀打ちできなかったと思われる。

Fact is stranger than fiction. (事実は小説よりも奇なり)

以上、形成される歴史(男性性)と許容される物語(女性性)のあいだから一歩も出ずに、内部へ、ニュートラルに空想した仮説です。