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言語学的な問いの連鎖

まず初めに、混沌のままに、なぜか(why ?)と問われます。その問いが、後に、オノマトペ表現となり、形容詞へと進化します。そこで問われなかった物事は、動詞ではなく名詞でもない動名詞か副詞となります。

次なる問いは、動名詞になりえる物事へ向けられます。男性性が優勢なら、何か(what ?)と問い、女性性が優勢なら、どうやってか(how ?)と問います。後に、何かが名詞となり、どうやってかが動詞となります。

日常的には、初発のなぜかという問いが無意識になされるので、始めに意識される問いは、男性性の何かと女性性のどうやってかになります。そして、何かを問う重さの感覚とどうやってかを問う熱さの感覚のバランスが取れると、初発の問いが、偶然性に向けられた問いへと収斂します。

すると、偶然性の対極で、必然性を見出そうとする自我が現れる。

独学の具体例の一つにすぎません。(N=男性性 / A=女性性)

自我が現れて、自分(自己)とは異なる他人(他者)を発見すると、自他を識別するための誰か(who ?)という問いが必要になります。

その誰かも、独自の真実を生きているのです。
(五次元意識の気づき)

その誰かと、
いつか(when ?)どこか(where ?)で、
神聖な偶然性とともに出会えることを祈ります。
(六次元意識の気づき)

日本語生活者は、必然性が「ある」(be助動詞)と、神聖な偶然性とともに「いる」(have助動詞)を簡単に言い分けます。

ところが、英語生活者は、have助動詞が所有の動詞に変わりつつあるため、祈りながら「いる」ことが難しくなっています。

スピリチュアルな探究はつづく。