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アダム・カヘン『共に変容するファシリテーション』にて(愛)

今回の記事は、過去の記事「アダム・カヘン『共に変容するファシリテーション』にて」のつづきです。カヘンは、スピリチュアリストだな。

 もっと根本的なことを言えば、ファシリテーションは私の天職であり、私が選んだ生涯の奉仕の道である。奉仕することで、小さく、防衛的で、エゴイスティックな自分から抜け出し、より大きく、より良い、より生き生きとした自分を実現することができるし、そうすることで、他の人にも同じようにするよう促すことができるのだ。――p.194

第9章「誰が何をするかをどのように決めるか?」

 オブライエンとファシリテーションをしていたとき、彼はいつも、ミーティングを始める直前の30分間1人になって考えをまとめることにこだわっていた。彼は、「介入が成功するかどうかは、介入者の内面の在り方に左右される」と言っていた。オブライエンは、ファシリテーターの内面的な姿勢の重要性を指摘し、特に彼が「愛」と呼ぶものを持って奉仕することに焦点を合わせていた。「愛とは、他人が完全な存在になること、つまりその能力を最大限に発揮できるように助けるための素因である。愛は、突然襲ってくるものではなく、意志の働きによるものだ。『意志の働き』があれば、誰かを愛するために、その人を好きになる必要はない」と書いている。――p.194

第9章「誰が何をするかをどのように決めるか?」

その「その人を好きになる必要はない」と言える「愛」は、時空を超えています。好き嫌いは、時空の創作に役立つサインでしかないのです。

ところで、好き嫌いから始まる紛争が、世界中で後を絶ちません。

 サントスの見解について私が誤解していないことを確認するために、私の同僚であるコロンビア人のホアキン・モレノに、彼の見解を尋ねた。「サントスを裏切り者と見ている人は多いのです」と彼は言う。「コロンビアには、『意見が相違することに合意する』という文化がありません。もし誰かが、特に公の場で、意見の相違を示したならば、私はその人を潰さなければなりません」。これは多くの国や組織の文化にあてはまる。そこでは、合意は「あなたが私の意見に賛同すること」、コラボレーションは「私たちは私のやり方で行動すること」と定義されているのだ。
 サントスは、重要なコラボレーションには、合意することだけでなく合意しないこともしばしば必要になるという、多くの政治家たちは理解しているものの一般の人々には理解されない点を指摘したのである。――p.155

第7章「成功をどのように定義するか?」

日本は「意見が相違することに合意する」という文化が弱い。だから、不当な妥協を強制したり、相違する相手を傷つけたり・・・。ファシリテーターは、「意見が相違することに合意する」道も切り開くのだ。

私たちはしばしば、スペインの詩人アントニオ・マチャードの有名なフレーズに立ち戻った。「旅人よ、道はない。歩くことで道はできる」――p.168

第8章「現在地から目的地までどのような道筋をとるか?」

以上、言語学的制約から自由になるために。つづく。