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ドミニク・チェン『未来をつくる言葉』にて

ドミニク・チェンは日本語とフランス語と英語が話せるトリリンガルです。この書物に表れる彼の言語感覚も、素晴らしいですよ。

 ここで「言語」という概念の射程を、自然言語に限定しないで、あらゆる表現行為を包含するものとして捉え直してみよう。すると、途端に世界の密度が高まって見えてこないだろうか。広く「創作」と名付けられるあらゆる営為の数々を、表現者が感知した「新たな環世界を認識するための言語構築」とみなせば、世界は表現の数だけ「異世界」で溢れているとも言える。有史以来、有名無名を問わずに創作された表現作品――絵画、彫刻、楽曲、演劇、ダンス、映像、ゲーム、ソフトウェア、その他あらゆる芸術の様式――が、およそ一人の人間の一生のあいだでは探索できないほどの数に上ることを思うと、眩暈を覚える。
 特定の表現者のスタイルに親しむということは、その人間の世界の認識の仕方を追体験することであり、作者が生きた環世界に入り込むことでもある。そのようにしてあらゆる人が、他者の環世界を訪れながら、そこから自らの認識論を構築する糧を得ている。
 他者の表現に接触する時には、そこに現れる環世界の構造が自分の世界認識に染み込んでくる。このように考える時、表現行為とは一方から他方に情報を伝達し、同質化を迫る運動ではなくなる。表現行為は、決して作者のうちに完結しない。そうではなく、受け取り手が表現された領土を自由に探索し、そこから新しい価値を自らの領土に取り込む運動を通してはじめて、成立するのだ。

――pp.81-82 第四章「環世界を表現する」
ドゥルーズが「領土」という概念を用いる時、
彼は生物学者フォン・ユクスキュルが発明した「環世界」という概念に依拠している。
環世界とは、それぞれの生物に立ち現れる固有の世界のことを意味する用語だ。――p.20

 わたしはこれまで、表現とコミュニケーションの関係について考え続けながら、生きている人間同士のコミュニティ、生者と死者が交わるインタフェース、そして人と微生物をつなぐロボットを研究してきた。好奇心の赴くままに行ってきたことだが、あらためて振り返れば、家族、社会、自然環境との関係における分裂に抗うための方法を探ろうとしてきた。自分自身のなかにも吃音という「わからなさ」が同居しているし、多言語間の翻訳だけではなく同じ言語の話者同士でも意思の疎通が図れない状況を、当事者として生きてきた。
 いずれの関係性においても、固有の「わかりあえなさ」のパターンが生起するが、それは埋められるべき隙間ではなく、新しい意味が生じる余白である。このような空白を前にする時、わたしたちは言葉を失う。そして、すでに存在するカテゴリに当てはめて理解しようとする誘惑に駆られる。しかし、じっと耳を傾け、眼差しを向けていれば、そこから互いをつなげる未知の言葉が溢れてくる。わたしたちは目的の定まらない旅路を共に歩むための言語を紡いでいける。

――p.222 第九章「「共に在る」ために」

彼は、ベイトソンの思想から、深い影響を受けています。

『タイプトレース』の開発を開始した頃、わたしは大学院で一人の思想家の哲学について学んでいた。それは文化人類学者のグレゴリー・ベイトソンがその生涯を通して打ち立てた、個からではなく、関係性から考える思想だ。大学院に入ってたくさんの本に読み耽る中、はじめてベイトソンの著作を数ページ読み始めた瞬間、眼の前の世界が違って見えたことを鮮明に覚えている。科学的思考と文学性が融合した言葉で、生きることとは何かという問いが記述されていた。

――p.103 第五章「場をデザインする」
わたしたちが起業して最初に開発したのは、
キーボードで文章を書く過程を一字一句記録し、
再生する『タイプトレース』というソフトウェアだった。――p.100

以上、言語学的制約から自由になるために。