安倍首相銃撃に関して思うこと

※報道はかなり精神的に負担が重い内容でしたので、
気分が落ち込んでいたり体調がすげれない方はお控えください。

(少し発言することの怖さもありますが、大切なことだと僕は思うので、批判覚悟で書いています。)

知識人層(リベラルグループ)の姿勢に、少しだけ違和感。

無論、民主主義時代において、思想信条が違う者の口を、暴力でふさぐことは絶対に許されない。

誤解してはならないのは、元首相だからではない。どんな立場のものも、民主主義において声が暴力で消されることは許されない。一人の口を塞ぐことは、その他全員の口を塞ぐ前兆であり、誰かへの「脅威」は、明日の私への「脅威」である。

ただ、「民主主義を暴力という不当な手段から守る」ことと、「安倍さんはかわいそう」と感情的に国民全体が悲しむことは、訳が違う。センセーショナルな内容であるからこそ、冷静かつ俯瞰的な視点での発信を、僕は知識人や研究者、著名人にお願いしたい。


民主主義への冒涜を許さない。ただ同時に、僕はアベ政治を許さない。

公文書改竄、黒塗り、政治資金の濫用をはじめとする民主主義への侮辱行為を繰り返し、説明責任を果たさず、国民の声や権利を踏み躙ってきた。
伊藤詩織さんの件でも、彼は検察への圧力をかけた。
止まることがない格差拡大や市民の困窮を無視し、
自身の保身や既得権益のための政治を継続した。


現在の政府や特権層が、格差拡大や弱者の実態を無視し続ければ、分断はさらに深刻になる。歴史を見れば明らかだが、民主主義が崩壊し、ヘイトや憎しみが飛び交い、この世は混沌とする。多くの人は、そんなことは日本で起こらないというだろうが、この平和な世界も、わずか何十年の話だ。歴史で見れば、とても短い。

民主主義の精神を軽視し、包括ではなく分断の政治を行ってきたのはアベ政治ではなかったか。


もう一度言いたい。今回の銃撃により安倍元首相が狙われたことは、許されてはならないことだ。暴力により意見を通すような社会なんて、あってはならない。

ただ、こう思うのだ。元安倍首相の事件を、「安倍さんかわいそう」という感情論で終わっていいのか、単純すぎないだろうか。そうした感情論に終始する論調は、
今までのアベ政治や、これまで長い間幸せに生きる権利を踏み躙られてきた者達の声や存在を消す行為ではないか。

どうしてこんなことが起こりうる社会になってしまったのか。何が社会の憎しみや分断を静かに、けれど確実に醸成していたのか。我々は今、どうするべきなのか。

安倍さんの命が不当に奪われちゃいけない。でも、アベ政治下で、物理的な死ではなくとも、死ぬように生きる日々を強要されてきた人が、どれだけいただろうか。企業や天下り先に多くの政治資金が流れる中で、困窮下で生きるのを諦め、死を選んだり、死ぬように生きる人や、若者、希望が持てない子供がどれだけいただろうか。


民主主義という平和の砦は、社会連帯で死守しなければならないものなのだ。

安倍さんのように暴力で声が封じられたりすることが2度とないように、しなければならないことが我々にはあるのではないか。


今回の事件を、「民主主義の空洞化」や「分断と暴力」という、より大きな枠組みで再解釈しなくてはいけない。犯人が捕まれば悪が根絶するのは間違いである。日本には第二の犯人、第三の犯人が醸成される社会的欠陥があるのではないかと、真の民主主義や平和を求めるものならば、考えなければいけないのではないか。


安倍元首相の無事を、心より祈ります。なぜなら、あの方には犯してきた悪事の数々を、きちんと説明してもらわねばならないから。それが大きな権力を掌握する政治家としての、最低限の責任です。そして、今回の事件が民主主義の形骸化や分断への本質的議論につながることを僕は研究者や政治家などの知識人の方に求めます。



                                                                                                                      2022.7.8



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