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これからの時代に求められる、個の自立について

改めて、若い皆さんに伝えておきたい大切なことを書いておきます。これからの新しい時代をつくる若い人たちには、精神的な個の自立、個の確立こそ、まず目指してもらいたいと私は思っています。全てはそこからです。

この「自立」は、成人でもできてない人達のほうが多いですし、十代のよくある反抗期とも質が全く違うものです。確立した個とは、精神が成熟し、自己憐憫も起こさない。ふわふわした「人の目」を気にしない。誰が自分を誉めようと否定しようと、自分であることが揺るがない不動心を持つことが、個の自立です。

東日本大震災と原発事故。これを体験して思うのは、個の自立こそ、現在の日本の多くの人々に必要なものという確信です。

確立した個がなく、デマに騙され、家庭を壊し、不遇な環境へと自ら流されていく人々が沢山いました。これからの激動の時代に、そういう人々をもう見たくはありません。

SNSやマスコミを利用して自分を売り込み、多くの信者を獲得するカリスマ的インフルエンサーになりたいと願望する人も世間にはいます。言葉で大衆を酔わせて一方向に動かしていく、そのようなインフルエンサーに、私自身は微塵も成りたいと思いません。むしろ若い人だけでなく、人類全てがインフルエンサーなしで済むようになることを思っています。束縛するインフルエンサーならば、例えそれが親でも教師でも宗教組織でも、自然に手放せるようにと願っているのです。あらゆる束縛するインフルエンサーは捨てる。個の自立、個の確立とはそういうことです。人々ひとりひとりの中にその人自身で「自分教」を啓かせたいと、私は考えているのです。

若い人はデマゴーグはもとよりインフルエンサーの言うことも鵜呑みにしてはいけません。理性を大切にして下さい。いかなる権威も若い人たちから自由を奪う存在ですから、心の中では常に敬い遠ざけるように。そして自分という人間の中にある無限なる可能性を、いつも忘れないようにして欲しいと願っています。

また少なくとも千年後くらいには、今で言うところのTVワイドショーのMCやコメンテイター、SNS上のデマゴーグやインフルエンサーに左右されない個の自立が、世界中の人々の間で当たり前になっている。そんな人類社会が達成されていることを願っています。

日本の若者は「いい人ビジネス」のプロになろうとして、無理をしてることがあります。でもその無理に限界が来て、破綻して、自分の心が壊れていく。なにか本質を勘違いをしているように思えます。自分を大事にしてから、人を大事にするという順序を、決して忘れてはいけません。

「いい人」キャラ作りに励んで、インフルエンサーを目指しても、今後の激動の時代では無理がきて、心が崩壊するだけです。十代二十代のうちは人の目も気になるだろうし、人から褒められたい欲求も強いでしょう。でも、形だけの大人の振りをする練習でも良いから、少しずつ本物志向を目指しましょう。

「私は私だ」という確信が得られるかどうかは、その他人にほめられるかどうかに左右されると話す若者もいます。私の言う個の自立とは、人からほめられても喜んではいけないということではありません。自然な感情は、もっとも大切にしなくてはいけません。素直に喜ぶのが、もちろん良いのです。ほめられたら、素直に喜ぶ。自然な感情は、それを封じず、大切にしないといけません。ただ、その喜びに自分が従属しなければ、本当の意味で自由でいられるということなのです。それこそが個の自立というものです。

学生さんの中には、根こそぎ感情を封殺、もしくは駆除するのを理想と思う極端な人もいます。でも、感情は自分の心の畑から決して刈り取ってはいけません。感情は、自分で手をいれながら育み、多様なまま豊かに純化させていくのが良いと思います。若いときは感情が未成熟だから、嬉しいのも悲しいのも自分勝手です。でも思いっきり喜び、思いっきり悲しみながら、自ら感情を育てて純化していくのが、成熟した大人への道です。

また若いうちは人の目を気にしすぎるから疲れます。でも良く思われようと頑張ってやっと得た縁が、人も羨む素晴らしいものに最初見えても、ちょっと時間が経つときつく縛るブラックな縁になることも多いのです。そういう縛る縁は諦めて捨て去り、自分の人生は他の誰のものでもなく、自分のものだと改めて割り切れば、割とサラサラと生きられるはずです。

若い人を含めた日本人の多くが「自分ファースト主義」になってしまったと嘆く人もいます。確かに拝金主義の薄っぺらい自分ファーストは、自分も、そして国をも滅ぼすだけでしょう。しかし本物の「自分」を掴もうと、精神の深淵に潜る自分ファーストに行き着ければ、それは全てを救うだろうと思うのです。

自分だけの幸せのために、忖度ばかりして毎日頑張っているのに消えず、むしろ雪だるま式に膨れ上がってゆく不安の中で、「自分ファースト」を必死で自分に向かって叫び続けても、それは決して何の救いにもなりません。むしろ、何をどこで間違えたのだろうと、後悔ばかりが募ることになると、私は思います。

一方で自分の良心に従う自分ファーストこそが真の安寧をもたらすと、私自身は信じています。この本物の自分ファーストである個の自立は、「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」という心境を経て、やっと完成するものと考えています。どこかで身の自分を捨て切ることも、大切な局面では出てくるのです。

我が身ではなく、我が魂の安定を得る心の自分ファーストまで昇華すれば、結果として利他行為も自然にできるようになります。そういう自分ファーストならば、この国に様々なことが突発的に起きても、自分の心が壊れるのが嫌だからという理由で、自分の身を捨ててでも他者を助ける人も出てくることでしょう。

でも繰り返しますが、「皆のために自分一人だけが我慢をすれば良い」と考えることは、基本的に間違いです。我慢をするのならば、やらないほうが良いのです。そういう「自己犠牲」は間違っています。まずは飽くまで自分を大切にすること。自分を愛してから他者を愛するという順序を壊すと無理が出てしまい、自分が壊れていって、結局他者も傷つけてしまいます。まずは自分の精神の自立と安定を最初に目指して下さい。そういう自分ファーストは誰にとっても大切なのです。その自分ファーストをきちんと踏まえてからの他者への献身こそが、素晴らしいのです。「しかたがねぇな」から始まって、「やらなきゃ飯がまずいだろうよ」と人助けする人達は東日本大震災時でも沢山いました。自分の良心を大切にする。こういう本当の意味での自分ファーストこそが、これからの世界を救うのです。私はそう思います。そしてこの「良心」とは、自分自身の個の自立にしっかりと根付いたものであることを忘れないでください。そして他者の個の自立とその尊厳を認める良心でもあることも忘れないでいてください。

念のために付け加えておきます。個の自立は、本来人を自由にするものですが、愛や智慧のない「馬鹿正直」や我儘勝手な「正直な馬鹿」になるのとは、全く違います。自らの理性の働きで、自らの内省が深くなって、やっと辿り着けるのが、本物の個の自立というものです。

若い人にこそ本物の自由を得て欲しいと、私は願っています。そしてそういう若い自由な人々が力を合わせなければ、今後の激動の世界では先に進めなくなります。でもその「自由」とは、決して軽薄な意味での自由ではありません。

自由とは、文字通り「自らに由る」という意味であって、自分の本心、良心に従い、他人にその責任を任せないという意味です。そして、この「自ら」には、「みずから」という意味がもちろんありますが、同時に「おのずから」という意味もあるのです。

自分の意志としての「みずから」と、自然の流れに沿った「おのずから」とが無理せず合流し一体となった「自らに由る」という自由こそが理想です。自分を大事にし、尊重することで初めて出てくる「みずからに由る」と、自然や社会とも調和する「おのずからに由る」の一体化を目指すのが、今後の時代には大事です。

激動の時代は生きがいの時代でもあります。

「絶望の歌は そのうち尽きるが

 希望の歌は 尽きることがないはず

 そう信じて 進む」  

詩人岩崎航さんのこの詩にあるような、真の楽観主義に向かう勇気が大切です。悠々とした楽天家でありながら、個の自立したフットワークの軽い大人を是非目指して頂きたいと願っています。


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