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量子ベイズ主義

「QBism とは、状態ベクトルは観測者の心理状態・信念の状態を表しており、 観測者が観測結果を知って信念の持ちようを変化させることが波束の収縮だ、という考え方である。しかし、そう信じるなら、人類が不在の太古の昔や無人の地や他の天体での量子的現象は確定しないことになってしまう。」このようにQビズム(QBism, 量子ベイズ主義)を批判する人も居ます。しかしこれはQビズム自体、更に実在概念を否定している標準的な量子力学への理解が足らない言説に過ぎません。つまりQビズムの「藁人形」を自ら作って、それを批判しているだけに思えます。

Qビズムと標準的量子力学の確率解釈との違い、もしくは主観確率と頻度確率との対立という議論も成されますが、その差は本質的ではなく、ある種の見せかけです。"PROBABILITY DOES NOT EXIST"、つまり確率そのものは「実在」ではないということが、Qビズムの最も重要な本質であり、この点は標準的な確率解釈と全く共通しています。

前世紀の実在論主義からの離脱の必要性を明らかにした1つの流れという点では、Qビズムを私は高く評価をしています。ただしベイズ統計やベイズ確率を「主観確率」とするQビズムの提唱者フックスの根幹の考え方自体には、反対です。ゲームなどにおいて主観確率がうまく使われていることへの厳密な根拠を求めれば、結局は有限回数でも非常に多数の試行(実験や観測)によって評価される、誤差の範囲できちんと合理的な「頻度確率」こそがその根拠になってしまうからです。1回でも頻度主義に則った実験や観測で確認をしておけば、後は未来予想としてQビズムの人々が「主観確率」と呼んでいるものを使う合理的な理由にはなります。その意味でQビズムの理論から「主観確率」の誤解を取り除いたバージョンを考えるべきだと、私は思っています。

量子力学は確率だけを扱う理論だという、本来どの分野の人とも共有できる事実を認めれば、Qビズムや標準的な確率解釈を極端な認識論だという批判も出てこないはずなのですが、現実にはまだ「確率だけを扱う理論」だと信じていない研究者がおかしなことを言うわけです。それは古い実在論への郷愁を捨てきれない「お気持ち」の一種です。

人類が1つの思考の轍から脱するにも、世代を積み重ねていくしか方法はないのかなとも思えます。「三つ子の魂百まで」という言われるように、実在論者の方が若い時に受けた量子力学の教育思想の影響は相当根深いものです。ですから柔軟な新しい量子ネイティブ世代に、私は大きな期待をかけているのです。

量子ネイティブ育成のために、「量子力学は情報理論である」という現代的視点での教科書を書きました。


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