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土壇場での感情との向き合い方

昔の老僧が暴漢に刀で切られて死ぬとき、「ギャー!死にたくない!」と叫んで絶命したと聞いた若い僧は、それでは修行をしても役に立たないではないかと思った。それでも修行を止めずに晩年を迎えると、たとえ自分が死にたくないと叫んでも、それに捉われないようになるのが修行だと悟る話があった。

人が「死にたくない」と咄嗟に思うのは、自己保存本能の機能のためであり、それは脳がそのような仕様になっているから。だから気にすることはない。それがないと、詰まらないことで人間は死んでしまうのだから、「死にたくない」と出てくることは、それはそれで良いのだ。

だからいざ自分が死ぬと分かるとき、また命の危険があるときに、心拍数が急上昇したり、足がガクガクとなったり、恐怖でブルブル震えたりするのは、脳の仕様なので、当たり前のこと。ただそのときでさえ、そのような自分を客観視できる別な自分の視点があれば、死地を脱する機会もしっかりと掴むことができるのだろう。

捉われないということは、どんなことにも捕らわれない、囚われないということ。自分の土壇場の反応が、他人の目から見てどんなに惨めで恰好悪かろうと、実はどうでも良いこと。自分が自分を見つめる目さえ養っておけば、どうでも良いことなのだ。他人の目を気にして、恰好をつける必要はない。

どの人間の脳もそのような仕様を持っているのだから、肉体人間として我々は、皆哀れで、惨めで、弱いものという理解を深めることも、これからの激動の時代には大事。それをごまかさず、正直に見つめることで、止揚も起こり、そこから精神の跳躍が始まるのだろうから。

昔カミオカンデのフォトマルが大量に割れた大事故があった。そのときの責任者は戸塚洋二さんだった。若い頃から空手をされていて、試合でいざ窮地に陥ったときは全身の力を抜くことを体得。事故のときもスッと無駄な力が抜けて、迅速に事態収拾に取りかかれたと、何かで読んだことがある。

これも何か読んだのだが、幕末に修羅場を潜り抜けた人達の中には、勝海舟や山岡鉄舟など剣の達人も多かった。どんな達人でも、とっさに攻撃を受ければ、瞬間緊張して力むらしいのだが、達人が一般と違う点は、次の瞬間に無駄な力がやはり抜けることだったらしい。禅でいうところの観の転換なのだろう。

瞬間に観の転換をする逸話は、感情に翻弄される若者のヒントになるかもしれない。嫉妬や憎しみ等の粘着質の感情が自己嫌悪を起こさせる。しかしこれらの感情は、攻撃された時の緊張と同様に、自己保存の本能が機能するための副作用みたいなもので、本能が正しく機能してる証拠だから、その意味ではむしろ喜んでいいものだろう。

木像を彫り出すための木屑みたいなもので、嫉妬や憎しみの感情も出ないと自分の人間性を彫り出せない。瞬間に木屑掃除ができるようになれば、自己嫌悪に陥ることはなくなる。剣の達人が無駄な力を抜くように、自分の粘着質の想いから心の視線を逸らして、やるべきことに集中する練習が役立つと思う。

人を妬んだって憎んだって良いから、出た次の瞬間にはその感情とは戦わずに、ただ心の視線をスッと逸らす。心の視界から対象をはずすだけで、随分楽になることも多いとおもう。自分の感情と戦っても、他のより複雑な感情が出てくるだけで、何も良いことはない。戦わず放置して、視線を変えるのが良い。信仰をお持ちの方ならば、吾身を捨てた大きな祈りへと昇華させるという方法もある。

出てきた嫌な感情を消そう消そうと戦っても、その感情は消えることはなく、むしろ複雑強固になって居座る。どんな感情も、ただ波のように起きては自然に消えていくものだから、戦わずに心の視線を対象から逸らし、他のやるべきことに集中するが最善手。若い人は、まずは感情との付き合い方の練習から始めるのが良いのだろう。

偉そうに自分は漢だと威張ってた人間が、東日本大震災と原発事故では腰砕けになっていた。一方で、柔和な普通のおばあちゃんが淡々とやるべきことをされていた。世間でよく見る虚勢の度胸は、いざという時に全く無力だ。大切なのは、虚勢も無駄な力も入らない本物の勇気。感情から離れた静かな勇気。

弱さをきちんと受容した人は底強くなる。虚勢の度胸も、小ずるい知恵も要らなくなる。大きなどなり声で人を脅す必要もなくなる。感情の波から離れた、静かな勇気を持てるようになる。後悔の無い生き方に踏み出す勇気を持てるようになる。これからの激動を生きる若い人には、この事実をどこか頭の片隅に置いていて欲しいもの。

特に思春期以降に人の目が気になることは体の変化に伴ったごく自然な感情。それとうまく付き合えないと、膨大な若いエネルギーが漏電して心も病んでしまう。感情は、波のように起きては消えていく。だんだんと自分を客観視して、意識的に自分の感情を育てていくことで人の目は気にならなくなっていく。

「あ、いま人の目を気にしてるなぁ」と気付いていくことの繰り返しだけでも、効果がある。その気持ちと戦わずに、距離をとって放置すれば、自分を客観視できるように成長していくし、「自分は、自分。」と心の底からだんだん思えるようになって、楽になっていく。

最後に詩人岩崎航の作品を。

くるしいも波
かなしいも波
たのしいも波
うれしいも波
だから漕ぎ続けてる


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